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おちあい ろうふう

落合朗風

1896年東京府に生まれる。本名平次郎。4歳で母を亡くし、その後キリスト教信者の父の手で育てられる。1912年(大正元)、明治商業学校を卒業後、働きながら川端画学校に通学。1914年、18歳のとき画家を志し、遠緑にあたる京都の画家小村大雲に師事する。翌年、巽画会展、明治絵画展に出品、1916年には文展に初入選。しかし、1919年院展に転じ、第6回院展に〈エバ〉を出品、出世作となる。以後続けて1921年まで院展に出品するが、第8回展の会期中、朝井観波とともに院展を脱退、京都に移る。1924年、父の故郷島根県松江での個展には失敗するが、同年の第5回帝展に出品し、以後帝展に出品を続け、東京にもどる。1931年(昭和6)帝展と訣別し、青龍展に出品。青龍賞を受け社友となるが、34年川口春波とともに青龍社も脱退、新たに明朗美術連盟を創立する。閉鎖的な既成日本画壇に対抗し、自由な精神と新鮮な感覚で制作をつづけたが、1937年、急性肋膜炎により41歳で早逝した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)


カテゴリー:作家
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文展とは?【 美術用語 】

文部省美術展覧会の略。1907年6月、勅令によって美術審査委員会官制がしかれ、続いて美術展覧会規程が告示公布され、最初の官制による展覧会として同年以降毎年秋季に開催された。当初から審査員の選出で紛糾し、美術界を統合した形をとるために当時日本画壇に分立した諸団体と洋画、彫刻の新旧両派から選出した委員に学識経験者を配して均衡をとった。1919年文部大臣の管理下に帝国美術院が設けられ帝国美術院展覧会に改組されたが、在野有力作家の吸収を目的として、35年文相松田源治により帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展覧会として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。1937年からの文部省美術展覧会を新文展と呼ぶことがある。

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