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ぎょらんかんのんりつぞう 魚籃観音立像
魚籃観音は、観音菩薩が33の姿に変わって人々を救うという教義に則った三十三観音の一つで、法華経を読誦できる男性に嫁した、魚を商う女性が実は観音の化身であったという中国故事に基づく。この作品は、光雲の生家中島家とゆかりがある東京・三田の貞林寺に光雲が奉納したもので、昭和53年に同寺と合併した瑞正寺に移された。 この作品からは、魚の入った籠や着衣の表現に見られる写実性、江戸彫刻の形式的な硬さではなく女性のふくようかさが伝わる柔らかな面相表現など、仏師として出発した光雲が伝統的な仏像制作の折にも、近代的な造形を心掛けていたことが垣間見られる。ただし、その後に制作された魚籃観音像が、より人間的な面相になり、体をよじるなど動的になっていることと比較すると、寺院に奉納する作品とはいえ、この作品が未だに仏師としての制作の域にあったことを物語っている。(「高村光雲とその時代展」図録 2002年)
カテゴリー:作品
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高村光雲とは?【 作家名 】 光雲は、明治、大正期を通じて日本の彫刻界の木彫における重鎭である。早くから、仏師高村東雲の弟子となった光雲は明治のはじめに多くの木彫家が牙彫に転じるなかで木彫の伝統を守りつつも、その新しいところを積極的に取り入れることに努めた。写実に徹し、木の性質を知り尽くした見事な技を持ち、山崎朝雲、米原雲海、平櫛田中など優れた門下生を輩出した。光太郎はその実子である。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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