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食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


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ちゃぼ

矮鶏

作家名:高村光雲
制作年:1889年
技 法:木
矮鶏をモデルにした作品は、美術商若井兼三郎が1889年パリ万国博覧会に出品するため光雲に依頼し(結局はモデルの選定に手間取り万博に間に合わなかった)、その年春の日本美術協会展に出品、展覧会に行幸した明治天皇の目に止まり買い上げとなった作品(現在新潟の敦井美術館所蔵)が知られている。この作品はその類作である。 光雲は、動物彫刻の制作に当たってはモデルとなる動物をかなり苦心して探しているが、この時も後藤貞行の助言を得ながら2組の矮鶏を手に入れ、一月余りも観察を行って制作している。本展出品作品には、その時の観察による迫真性が発揮されている。尾羽根の立った様や胸の張った量感、一瞬を切り取ったような動きなど、矮鶏を観察した成果が見られると共に、羽根の1枚1枚まで細かく彫出し、羽根や鶏冠、足などの豊かな、かつ異なる質感をもった表現からは、光雲芸術の写実の極みを知ることができる。(「高村光雲とその時代展」図録 2002年)


カテゴリー:作品
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平櫛田中とは?【 作家名 】

1872年岡山県井原市に生まれる。1893年大阪で人形師・彫刻家の中谷省古に木彫を学ぶ。1897年上京し、高村光雲に師事する。1902年新海竹太郎米原雲海山崎朝雲らが結成した三々会の会員となる。1907年第1回文展に「姉ごころ」を出品。また、日本彫刻会の結成に参加する。翌1908年には、日本彫刻会第1回展に「活人箭」を出品する。1914年日本美術院の再興に参加し、第1回展に出品、同人となる。1937年帝国芸術院会員に、54年文化功労者になり、62年には文化勲章を受章する。1979年東京都小平市で死去。「活人箭」は禾山和尚の臨済録提唱の中からとったテーマ。鹿を追っていた猟師がわけあって僧門に入り、後に石鞏(せきぎょう)禅師となり、やってくる雲水に矢をつきつけながら問答をした。皆答えられなかったが、三平という雲水が胸元を広げて、「活人箭か、殺人箭か」と答えた。この作品は、石鞏が矢をつがえている場面で、その描写力と造形にひそむ厳しい精神性が高く評価された。また、釣糸を垂れる太公望を表わした「釣隠」には、田中独特の彩色がほどこされている。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)

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