ぐるぐるアートワード
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原勝郎



原菊太郎



原健



原丹橋



原鵬雲







ハルス



ハルトフ



春日蜿々(白梅)



ハロルドジェニングス



版画集『大鴉』『大鴉』表紙



版画集『大鴉』胸像の上の大鴉−「パラスの像へと降り立った……」



版画集『大鴉』飛翔する大鴉:書票



版画集『大鴉』窓辺にて−「ここに私は鎧戸を開け放った……」



版画集『大鴉』椅子−「床の上に漂いつつ横たわるその影……」



版画集『大鴉』ランプの下で−「嘗て物寂しい真夜中に……」



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉1. フィリポ 邊梨保の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉10. タダイ 多駄伊の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉11. ヤコブ 也胡武の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉12. シモン 指聞の柵


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 作家(1701)

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ろうえん じゅうようぶんかざい

老猿〔重要文化財〕

作家名:高村光雲
制作年:1893年
技 法:木(栃)
1893年シカゴ万国博覧会に出品され、妙技二等賞を受賞した光雲の代表作。円刀によるノミ跡を残して岩の荒い質感を表現した技法、栃のちりちりとした木目を生かしつつ鋭い彫りによって毛並の質感を表現した技法、さらに鼻から口にかけて滑らかに表現した本仕上げと呼ばれる技法の三つを使い分け、黒目には石を嵌めるなど技術的にも光雲の持てるものを出し尽くしたといえよう。 光雲自身が栃木県の山中で直接検分し求めた栃の材は、材木の代金3円に対し、運搬経費が200円余りと、かなり苦心のうえ調達している。栃の白い木地を生かした白猿を彫ろうとしたものの、実際には茶褐色であったため、野育ちの老猿を彫ることにしたという。 荒々しく揺れ流れる毛に包まれ、右腕を岩にグッと掛け、左手に鷲の羽根を握りしめる力漲る老猿は、口を固く閉ざしながら鋭い眼光で遠く遠方を睨みつけている。今まで鷲と格闘を続けていた瞬間をとらえたこの作品は、猿を写実的に表現してはいるが、その光景や人間的なポーズは光雲の創意といえる。光雲が単に写実を追求するだけではなく、ドラマチックな作品構成にも新たな芸術性を見出していたことを示している。(「高村光雲とその時代展」図録 2002年)


カテゴリー:作品
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文展とは?【 美術用語 】

文部省美術展覧会の略。1907年6月、勅令によって美術審査委員会官制がしかれ、続いて美術展覧会規程が告示公布され、最初の官制による展覧会として同年以降毎年秋季に開催された。当初から審査員の選出で紛糾し、美術界を統合した形をとるために当時日本画壇に分立した諸団体と洋画、彫刻の新旧両派から選出した委員に学識経験者を配して均衡をとった。1919年文部大臣の管理下に帝国美術院が設けられ帝国美術院展覧会に改組されたが、在野有力作家の吸収を目的として、35年文相松田源治により帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展覧会として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。1937年からの文部省美術展覧会を新文展と呼ぶことがある。

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