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なんかいかんのんりつぞう![]() 南海観音立像 ![]()
南海観音は、中国福建省周辺の民間信仰から出たものらしく、魚を籠に入れているところから魚籃観音と同じ図像として流通していたことが分かるほかは、詳細は不明である。この作品以外にも光雲の作品が伝わっており、また米原雲海にも制作した記録があることから、大正期前後に日本へ伝わり、一時的に流行した信仰と考えられる。(「高村光雲とその時代展」図録 2002年)
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カテゴリー:作品
![]() ![]() ![]() 高村光雲とは?【 作家名 】 ![]() 光雲は、明治、大正期を通じて日本の彫刻界の木彫における重鎭である。早くから、仏師高村東雲の弟子となった光雲は明治のはじめに多くの木彫家が牙彫に転じるなかで木彫の伝統を守りつつも、その新しいところを積極的に取り入れることに努めた。写実に徹し、木の性質を知り尽くした見事な技を持ち、山崎朝雲、米原雲海、平櫛田中など優れた門下生を輩出した。光太郎はその実子である。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) ![]() ![]() ![]() |
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