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せいかんのんりつぞう

聖観音立像

作家名:高村光雲
制作年:1924年
技 法:木
高村光雲は、観音像を数多く作っている。息子の高村豊周が「光雲といえば観音像ばかり作っていたように思う人もあるらしい」と語り、また「多くの観音像の制作でも知られる通り非常な観音様の信心家だった」と新聞記事に書かれたくらいであるから、光雲と観音像の関係は、当時から有名だったのだろう。仏像は彩色されているのが通常であり、彩色彫刻では東京藝術大学にある《伎芸天像》を造った竹内久一が有名であるが、光雲の作品でも、善光寺に納めた《三面大黒天立像》や《三宝荒神立像》などは極彩色の像である。また、当時の新聞に掲載された、光雲作の観音像の写真を見ると、白黒の図版ながら極彩色に彩色されていることがわかるものがある。(「高村光雲とその時代展」図録 2002年)


カテゴリー:作品
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竹内久一とは?【 作家名 】

1857年東京浅草田町に生まれる。牙彫師堀内龍仙、川本洲楽の門下に学ぶ。1880年の第1回観古美術会において、奈良興福寺の古仏に感動する。1881年第2回内国勧業博覧会において牙彫を出品、褒状を受ける。このころ奈良に学びたい思いがつよく、二年余り正倉院御物をはじめとして、社寺の古美術を学ぶ機会を得る。1890年第3回内国勧業博覧会で木彫の神武天皇像で妙技二等賞を受賞。1893年シカゴ万国博覧会に木彫彩色の「伎芸天女像」を出品、好評を得る。竹内のこの「伎芸天女像」には、京都や奈良の古彫の修復や模刻を通じて、古きを温め、伝統を重んじつつも常に新しい表現への工夫を忘れずに精進した創作の姿勢がよくうかがえ、代表作といわれる。1906年帝室技芸員となる。1916年死去。従四位勲四等を受ける。竹内は近代木彫の草創期であった明治中期に高村光雲石川光明らとともに活躍した木彫の彫刻家である。最初牙彫を学んだが、初めて奈良を訪れた際に日本古来の木彫に魅せられて、木彫に進み、当時の木彫の復古運動に尽力した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)

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