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うしとどうじ 牛と童子
光雲は老師や蘇東坡などのように、牛や馬と人物とを組み合わせた主題の作品をいくつか制作している。牧童騎牛の図様を示すこの作品も、そうした人物と牛馬とを組み合わせた作品系列に属す。あるいは、牛若丸など古典の図像がヒントになっているとも推測される。なお、本像は箱書により昭和9年(1934)光雲没年の作とされるが、光雲作品には制作された時期と箱書との間に時間差があるものもあり、制作年代については再検討の余地がある。(「高村光雲とその時代展」図録 2002年)
カテゴリー:作品
文展とは?【 美術用語 】 文部省美術展覧会の略。1907年6月、勅令によって美術審査委員会官制がしかれ、続いて美術展覧会規程が告示公布され、最初の官制による展覧会として同年以降毎年秋季に開催された。当初から審査員の選出で紛糾し、美術界を統合した形をとるために当時日本画壇に分立した諸団体と洋画、彫刻の新旧両派から選出した委員に学識経験者を配して均衡をとった。1919年文部大臣の管理下に帝国美術院が設けられ帝国美術院展覧会に改組されたが、在野有力作家の吸収を目的として、35年文相松田源治により帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展覧会として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。1937年からの文部省美術展覧会を新文展と呼ぶことがある。 |
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