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みなもとのよりよしぞう 源頼義像
源頼義(998−1075)は、平安中期の武将として名高い。甲冑に身を固めた猛々しい姿を刻んでいる。仕事が速いと言われた俊明は、木彫のほかに象牙彫りに優品を残すが、ここでは小さいながら細部にこだわらず、鑿によってぶっつけで彫りすすみ、間然としたところがない。 左甚五郎の生まれ変わり、今様左甚五郎といわれて、その技術を謳われ、ボリュームに欠けるところはないのはさすがである。江戸回向院の欄間を16歳で請け負い、丸彫り一刀彫による根付けから象牙彫刻に進んで、後にこうした写生味のある作品を残している。(「高村光雲とその時代展」図録 2002年)
カテゴリー:作品
丸山晩霞とは?【 作家名 】 長野県に生まれる。本名は健作。1884年上京し、勧画学舎に学ぶが1年足らずで帰郷。1888年再び上京し、本多錦吉郎の彰枝堂に学ぶ。1890年、第3回内国博覧会に油彩画を出品。1895年、吉田博と出会い、水彩画に興味を抱く。1990年満谷国四郎、河合新蔵らと渡米。その後ヨーロッパを巡って翌年帰国。太平洋画会の創立に参加。大下藤次郎らと水彩画講習所を開き、さらに日本水彩画会研究所へと発展させた。1911年再渡欧。1913年に日本水彩画会の創立に参加。評議員となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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