ぐるぐるアートワード
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女の胸像(回顧された)



女の館(徳島会場不出品)



オーヴァーストリート



オーギュスト=ガブリエル・ゴドフロワの肖像(独楽をまわす少年)



「オーストリア造形芸術家協会(分離派)−〈ゼツェッシオン〉−年報第1号」



「オーストリアの月々の絵」



「オーストリアのポスター芸術」



「オーストリア・ハンガリー帝国印刷局 1804-1904」



オートゥイュ鉄橋より−『エッフェル塔三十六景』のための習作



オート・ビオグラフィー



オートマティスム



海景−「聖クレア」シリーズより



回顧作品その2−ピンポン・ルーム, 1960−



海藻



階段をおりる裸体 No.2



甲斐庄楠音



海浜遠望



海浜風物図



解剖学



買物帰りの女[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]


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とみた けいせん

冨田溪仙

1879年福岡県に生まれる。本名鎮五郎。冨田家は博多素麺の老舗。12歳の頃衣笠探谷に狩野派を学ぶが、父の素麺業が逼迫し、1896年(明治29)京都伏見に嫁した姉を頼って出奔。翌年都路華香に入門して四条派の絵を学び、初め華仙と号す。華香の紹介で内貴清兵衛の庇護を受け、内貴とともにキリスト教の講議を聞き、また老子を学ぶ。この頃、トルストイを耽読。奈良平安の仏画を研究し、紀州和歌山や台湾、南中国に旅行。蕪村、大雅に心酔して文人画家としての素養を高め、1912年第6回文展に〈鵜船〉を出品し、横山大観に認められる。1914年(大正3)、大観に誘われて再興院展に出品し院友となり、翌第2回院展で同人となった。以後も〈沖縄三題〉(1916)、〈風神・雷神〉(1917)、〈南泉斬猫〉〈狗子仏性〉(1918)、〈嵯峨八景〉(1919)等、院展に南画的画境の作品を発表する。1910年頃より俳人河東碧梧桐らと交わり、俳句、短歌、詩作もよくした。1936年(昭和11)脳溢血のため57歳で没した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)


カテゴリー:作家
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ダダとは?【 美術用語 】

第一次大戦中、ヨーロッパおよびアメリカに起った運動。1916年、チューリヒのキャバレ・ヴォルテールで、トリスタン・ツァラ、ジャン・アルプらが、辞典の一頁から偶然に拾った言葉「ダダ」を用いた。大戦の不安のなかで、合理主義文明とその社会体制を否定し、破壊しようという運動で、おびただしいデモンストレーションとスキャンダルを通じて「なにも意味しない」虚無のダダを唱えた。この否定の精神は、ドイツではヒュルゼンベック、グロスらにより政治的色彩を濃くした。またニューヨークでマルセル・デュシャン、ピカビアらが写真のコラージュや、レティ・メイドのオブジェを使った時期をニューヨーク・ダダと呼ぶが、デュシャンの芸術そのものへの否定精神(反芸術)は、第二次大戦後の若い作家に受け継がれた。さらに1919年にケルンでエルンストアルプらが起したダダ運動は、偶然性や意識下の世界を通じて、のちにシュルレアリスム抽象表現主義への道をひらいた。

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徳島県立近代美術館2006