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かみさか しょうとう 神阪松濤
1882年京都府に生まれる。本名辨之助。菊地芳文の画塾に入り日本画を学ぶが、1905年(明治38)聖護院洋画研究所に入り、浅井忠に洋画を学ぶ。翌年、関西美術院の開設にともない同院に移る。内国青年絵画共進会、内国絵画共進会、日本美術協会展、新古美術品展などに日本画を出品する。1921年(大正10)に制作し、同年の第7回大阪美術展に出品した〈風景〉や大正中期の作と言われる〈蹴上風景〉は、近景から遠景の間の空間を洋画的写生と色彩で表現した彼の代表的作品と言える。また、四条派の写生をより写実的に展開した花鳥画を描くなど画域には幅を持つ。日本画の他には、刺繍原図の制作でも業績を残している。京都高島屋刺繍部で刺繍原図の制作に従事しながら、第5回内国観業博覧会に出品された刺繍額面をはじめ、内外の博覧会への出品作の原図を作成した。兄弟に、図案家の神阪雪佳、漆芸家の神阪祐吉がいて、兄弟の協力による工芸作品の制作も行っている。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ベラとは?【 作家名 】 ザイール南部にあるシャバ州の中心都市であるルブンバシ(旧エリザベトビル)は、銅やコバルトの産地として世界的に知られている。第二次世界大戦中にブラザビル(現コンゴの首都)で、軍務として現地の美術の保護に携わっていたブルターニュ出身のフランス人画家ピエール・ロマン=デフォッセが、チャド出身の従兵ベラを連れて、この地に入ったのは戦争末期のことであった。アフリカ人の芸術を保護、奨励することに深い関心を寄せていた彼は1944年、現地の人々を相手にしたアトリエ〈ル・アンガー〉を開設する。その最初のメンバーのひとりがベラであった。〈ル・アンガー〉では、デフォッセはただキャンバスと絵の具、それに場所だけを提供して、主題も構図も一切教えずに、もちろん西洋美術の画集に手を触れさせることもなく、もっぱら現地の人たちの自発性に委ねたといわれている。指先を使うベラの点描画法などは、実に個性的な手法であった。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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