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ECHO 1-100 ECHO 1-100
大竹伸朗著。内容物:ボックス<網膜地図#94>/画集<SO>、装丁ドローイング<青夢>/シルクスクリーン<新宿でアメリカを考えた>/ドローイング<網膜(網膜火傷)#94>/プリンテッド・マター1991ボックス A:リトグラフ<木の下の女> B:豆本<スモール・ドリームス#94> C:CD<EZMD> D:ソノシート<オンリーコネクト> E:豆雑誌<LTD> F:スクラップ・ブック素材(多数) G:写真プリント(3枚) H:ポスター<アムネスティ> I:図録<シップヤード・ワークス 1990>一九八〇年代にニュー・ペインティングの旗手として登場し、その後、絵画や立体、本の制作、ノイズ・ミュージックと、多彩な活動を続けている大竹伸朗。そんな彼が本を作り始めたきっかけは、一九七七年、武蔵野美術大学在学中に、単身渡ったロンドンであった。チケットなどの印刷物、アル中の男から買い求めたゴミ袋にぎっしり詰まったマッチのラベル。それらをノートに貼り、スクラップ・ブックを作り始めるのである。渡英前にも印刷物には関心があり、コラージュを試みていた大竹であったが、このゴミ袋との出会いが転機となった。そして、初めは整然と貼り付けていたが、しだいにそれは混沌とした様相を見せていく。〈ECHO 1−100〉(出品番号110)は、一九九一年時点での大竹の足跡を、少年時代の絵も含む膨大な作品写真、資料写真、各所に発表した文章、書き下ろし原稿などによってたどる本『SO:大竹伸朗の仕事 1955−91』(一九九九一年 UCA宇和島現代美術)の限定版。ドローイング、豆本、写真、ポスター、CD、スクラップ・ブックの素材となる各種印刷物などが、ファイバーグラス製の手づくりの箱に収められている。(「本と美術−20世紀の挿絵本からアーティスツ・ブックスまで」図録 2002年)
カテゴリー:作品
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エコール・ド・パリとは?【 美術用語 】 パリ派。13世紀、聖王ルイのもとで装飾挿絵を描いた画家達を指すこともあるが、より知られた使い方は、20世紀初めにパリで活動した画家達を指す。さらにその中でも、広義では19世紀末の印象派あたりから第2次世界大戦後の抽象主義あたりまでを漠然と指し示す場合がある一方で、狭義では第1次世界大戦頃から第2次世界大戦前までパリで活躍した主として外国人画家達を指し示すこともある。そして一般的には後者の場合を言う。彼らはフォーヴィズム、キュビズム、シュールレアリスム等の20世紀初めの潮流から、直接的にははずれたところで、具象的な、そしてしばしば悲劇的で破滅的な作風をみせた。モディリアーニ、シャガール、スーティン、キスリング、パスキン、フジタ(藤田嗣治)などが代表格である。彼らは一匹狼的であり、人間的交流はあったものの、1つの様式や理論のもとに集まった流派ではなかった。芸術の都パリに生まれた、国際的できわめて個性的な集団であったといえよう。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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