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ちじょうに 地上に
キューバに生まれたラムは、ピカソがスペイン内乱の際、フランコ政権に抗議して制作した「ゲルニカ」から、大きな衝撃を受けます。パリに出たラムは、まずピカソに会い、またブルトンを知るに及んでシュルレアリスムの運動に加わりました。そして、第二次世界大戦中にドイツに占領されたパリからキューバに戻り、1941年頃、ラムはようやくピカソの影響から抜け出します。1942−43年の「ジャングル」では密集した草むらに溶け込んでいるような、原始的で骸骨みたいな生き物が、茶色っぽい地に平面的に描かれています。これ以降、ラムはアフリカの民間信仰に基づく部族的な武器や熱帯の動植物の形を歪曲させて描くようになりました。ここでも、とんがった形に歪められた、得体の知れない生き物が姿を現しています。ピカソが用いた原始的なイメージや動物の姿は、ラムを通して恐怖と神秘の入り交じった土俗的で呪術的な装いで登場してきます。西欧の前衛を知ったラムは、夢や無意識の深さを測りながら、自分がヨーロッパ人でないことを自覚し、自分の出自を探求していったのです。シュルレアリスムは彼において、見事に民族の固有性と結合したといえるでしょう。
カテゴリー:作品
ベルガーとは?【 作家名 】 1892年ウィーンに生まれる。1911年よりウィーン工芸学校在学。O.シュトルナートとJ.ホフマンに師事。ウィーン工房のためにテキスタイル、銀器をデザインした。同じく工房に参加していた、O.レンゲッテが1917年に編集したモード雑誌『婦人世界』のグラフィックに協力。ビミニ社のためのガラス器をデザインした。ウィーン市の建築計画に従事1920−36年、30本以上の映画のセットの仕事をし、代表的なものに1920年の「王子と乞食」、1923年の「デア・ユンゲ・メダルドウス」、1927年の「カフェ・エレクトリック」などがある。1936年からモスクワに移り、1981年同地で歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
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