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ちじょうに 地上に
キューバに生まれたラムは、ピカソがスペイン内乱の際、フランコ政権に抗議して制作した「ゲルニカ」から、大きな衝撃を受けます。パリに出たラムは、まずピカソに会い、またブルトンを知るに及んでシュルレアリスムの運動に加わりました。そして、第二次世界大戦中にドイツに占領されたパリからキューバに戻り、1941年頃、ラムはようやくピカソの影響から抜け出します。1942−43年の「ジャングル」では密集した草むらに溶け込んでいるような、原始的で骸骨みたいな生き物が、茶色っぽい地に平面的に描かれています。これ以降、ラムはアフリカの民間信仰に基づく部族的な武器や熱帯の動植物の形を歪曲させて描くようになりました。ここでも、とんがった形に歪められた、得体の知れない生き物が姿を現しています。ピカソが用いた原始的なイメージや動物の姿は、ラムを通して恐怖と神秘の入り交じった土俗的で呪術的な装いで登場してきます。西欧の前衛を知ったラムは、夢や無意識の深さを測りながら、自分がヨーロッパ人でないことを自覚し、自分の出自を探求していったのです。シュルレアリスムは彼において、見事に民族の固有性と結合したといえるでしょう。
カテゴリー:作品
外光派とは?【 美術用語 】 19世紀フランス絵画史における呼称。ルネッサンス以降ヨーロッパのアカデミックな美術教育では屋内で油絵を完成するのが習しだったが、19世紀に入ると屋外の太陽光の下で油絵を完成しようとする作家が現れた。そうした作家あるいは制作態度を指す。主題としては風景画が多く、具体的な作家としてはヨンキスト、ブーダンなど印象派の先駆的な役割を果した作家を指し、クールベやコローなどを加えることもある。印象派も屋外での制作に専念しているが、普通は外光派と区別し、むしろ印象派の技法とアカデミックな主題を折衷して19世紀後半のパリ画壇で人気を得たサロンの作家たちを指すことが多い。日本ではサロンの作家ラファエル、コランに学んで1893年帰国した黒田清輝を中心として形成された洋画の新傾向とその一群の作家を指す。黒田が帰国するまで主流であった脂派との対比から、紫派、新派、南派、正則派とも呼ぶ。 |
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