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だーくみゅーじあむ-るーぶるびじゅつかん ダークミュージアム−ルーブル美術館
レオ・コペルスは1960年代後半にゲントのニュー・ロココグループでデビューして以来、様々なメディアとプロジェクトによって独自の芸術活動を行い、人々に問題を提起している。彼の作品は多種多様かつ複雑であり、系統的に変化を追っていけるような一定の様式をもっていない。しかしその中に共通して見いだせるものは、偏見を排し、イデオロギー的な立場を揺るがすための熟考である。火と水を共存させた一連のプロジェクトにも見られるように、彼は物や自然現象の在り方や既成の価値観に対して根本的に問い直す。こうした姿勢は彼の作品の基盤にもなっている。人間は本来どうあるべきなのか、コペルスは常に奇抜なアイデアとたっぷりのアイロニーによって人々に一石を投じ続ける。(「ベルギー現代美術展」図録 1994年)
カテゴリー:作品
ドラートルとは?【 作家名 】 版画家で出版業者の父、オーギュスト・ドラートルの息子として生まれた彼は、当時の最も優れたグラフィック・アーティストたちの仕事ぶりを見ながら、家業をおぼえていった。彼は自分が住み、仕事をしていたモンマルトルという場所の土地柄と活気を好み、版画の制作に活かしている。1890年頃、日本の多色刷版画に刺激されて、多色刷エッチングを試みはじめた。ドラートルはとりわけマクシム・モーフラやリヒャルト・ランフト、スタンランらにエッチングを教え、19世紀末に数多くのオリジナル版画を印刷した。1896年、S・ビングのギャラリー「アール・ヌーヴォー」に13点の版画を出品したが、おそらく彼の日本美術コレクションはビングを通じて作り上げられたものと思われる。1899年、多色刷版画協会の一員となり、その年次展に出品された版画の多くを印刷した。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) |
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