![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
( ぽーとれーと) (ポートレート)
大学では美術史を専攻するが、卒業後美術作品の制作を開始する。文学書の紙面を切り取り、文字部分を絵の具で塗り潰したり、その余白に自筆で言葉を書き加える行為により、言葉と造形の模索がすでに行われている。「Serre(温室)」と題したシリーズでは、植物を思わせる具象的な絵画を描いたが、やがて近世絵画の複製画を作品の中で使用するようになり、近年では自分で撮影した写真を多く用いている。これらは通常、スタンプ文字や物質感を強く打ち出した平面作品と併置して展示される。また、展覧会場に板ガラスを張って壁面を透過させ、同時に会場空間を写し込むような試みも行っている。ロイテンの作品は、このように非常に複雑で多様な流れを示すが、そこには表象の裏側に隠された記憶を呼び起こすための造形的創意が、常に巧妙に施されているように思える。(「ベルギー現代美術展」図録 1994年)
カテゴリー:作品
平福百穂とは?【 作家名 】 1877年秋田県に生まれる。本名貞蔵。四条派の画家である父の平福穂庵から手ほどきを受けた後、1894年(明治27)に上京して、川端玉章に師事する。1897年東京美術学校日本画科に編入学する。1900年、玉章門下の結城素明らと无声会を結成。1913年(大正2)の无声会解散後は、同年に国民美術協会の創立に加ったほか、1915年に川端龍子、小川芋銭らと珊瑚会を結成する。一方文展にも出品し、1914年の第8回展で3等賞を受賞、第9回展で褒状を受け、第11回展では特選となる。1916年には、松岡映丘、結城素明、鏑木清方、吉川霊華らと金鈴者を結成し、翌年の第1回展から1922年の解散時まで出品する。1922年の第4回帝展、1926年の第7回帝展では審査員をつとめ、1930年(昭和5)に帝国美術院会員、1932年には東京美術学校教授となった。大和絵、南画、琳派や桃山時代の絵画、中国古代美術などを広く学ぶとともに、歴史故実も研究し、多彩な画風を展開した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||