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さー・うぃりあむ・まくすうぇるしょうぐんのしょうぞう サー・ウィリアム・マクスウェル将軍の肖像
レーバーンは、イギリスの画家。スコットランドのエディンバラに生まれる。9歳で父親をなくし、金細工師の下に年季奉公に出た。油彩画の技法は、ほとんど独学で身につけたようである。1815年にロイヤル・アカデミー会員、23年には国王の肖像画家に任命された。彼は、肖像画を描く際に下描きをすることなく、強い陰影を用いて、じかに、かつ大胆に描き、人物の気質を溌刺と表現した。この作品のモデル、マクスウェルは、アメリカ独立戦争に参加した将軍である。
カテゴリー:作品
与謝蕪村とは?【 作家名 】 現在の大阪市に生まれる。江戸中期の俳人であり、画家。姓は谷口から与謝に改めた。蕪村は俳号で、画号は初め子漢。晩年に謝寅(しゃいん)とした。二十歳頃、俳諧を志し、江戸に下って早野巴人(はじん)に入門。巴人の没後、いまの茨城県など関東や東北を巡歴し、一七五一年(宝暦元年)、京都に居を結ぶ。丹後(現在の京都府)の宮津での滞在を挟み、以後は京都を拠点に活動した。絵画の面では、明清絵画のさまざまな画法を学び、南画の画法を吸収することで、自己の表現をつくりあげた。池大雅(たいが)とともに日本南画の大成者とされている。 |
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