ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


赤い少女



赤い服のセザンヌ婦人



赤い枕で眠る女



赤い闇6



赤城泰舒



アカシア



赤土山



アカデミー



赤紫の花瓶



〈赤を見ることができない〉



亞艦来浦図











秋岡美帆



秋草小禽図



秋草花図



秋野不矩



秋の木葉



秋山祐徳太子



諦め


<前 (2/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


つちだ ばくせん

土田麦僊

1887年新潟県に生まれる。本名金二。弟茂(つとむ)は後の思想家土田杏村で、国画創作協会の結成にも協力する。1903年(明治36)、僧になるため京都に出たが、画家を志して預けられた智積院から出奔、まず鈴木松年の門に入り、松岳と号した。しかし旧派の松年に飽き足らず、04年竹内栖鳳に入門して麦僊の号を受ける。翌年から新古美術品展に出品。08年の第2回文展で〈罰〉により3等賞を受賞。09年新設の京都市立絵画専門学校別科に入学、11年に卒業した。この間、黒猫会、仮面会を結成し展覧会を開いた。絵専卒業制作〈髪〉により第5回文展で褒状。中井宗太郎や雑誌「白樺」の影響で西洋美術に触れ、〈島の女〉(第6回文展)、〈海女〉(第7回文展)などを発表。1918年(大正7)には、竹喬、紫峰、華岳らと国画創作協会を結成、第1回展に〈湯女〉を出品。1921年竹喬、晩花らと渡欧、ルノワールの画室を訪門するなど西洋美術に直接触れ、23年帰国。翌24年第4回国展には〈舞妓林泉〉を出品。1928年(昭和3)の国画創作協会解散後は官展に復帰した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

戸張孤雁とは?【 作家名 】

1882年東京に生まれる。1901年洋画研究のため渡米し、06年に帰国する。1910年太平洋画会研究所彫塑部に入門し、同年第4回文展に「をなご」を出品する。1916年再興第3回院展に「ムスメ」「若き男の像」他を出品する。1917年には日本美術院同人となる。1927年東京で死去。アメリカで苦学をしながら、洋画、デッサンを学んでいた戸張は、ニューヨークのナショナル・アカデミー荻原守衛と知り合ったことで、彫刻家への道を進むことになる。ロダンの作品からも多大な影響を受け、生命感にあふれた大胆なデフォルマシォンを特徴とする象徴性の高い作品を制作した。また版画家としても活躍し、1919年には山本鼎、織田一磨らと日本創作版画協会を創立し、「創作版画と版画のつくり方」を刊行した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年)

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

戸張孤雁

キーワードを含む記事
4件見つかりました。

  武井直也

  戸張孤雁

  山本鼎

  山本豊市


<前   次>

徳島県立近代美術館2006