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ようねんじだいのべりーこうとぷろう゛ぁんすはくのしょうぞう 幼年時代のベリー公とプロヴァンス伯の肖像
ドルーエは、代々多くの画家を輩出しているドルーエ家の出身で、パリに生まれた。ルイ15世の時代にナティエ等と並ぶ肖像画家として人気を博し、最後にはアカデミーの最高位に就いた。この作品では、ルイ15世の孫の二人が描かれており、向かって右側が兄で、後のルイ16世となるベリー公、左側が弟で、後のルイ18世となるプロヴァンス伯である。幼いながらも豪華な衣装を身につけた子供たちを、高貴さや権威を持たせて描いているところに、貴族の御用画家としてのドルーエの特質がよく表れている。
カテゴリー:作品
鈴木松年とは?【 作家名 】 京都に鈴木百年の長男として生まれる。通称百太郎。百僊と号したが、のちに松年と改号。東錦僂主人、老龍館主人の別号がある。父に学ぶ。明治13年(1880)京都府画学校に出仕。翌年、百年の後任で北宗科教員となった。第一回内国絵画共進会で褒状を得たのをはじめ、同展で、銀章、妙技三等など受賞を重ね、また、内国勧業博覧会、日本美術協会展、新古美術品展、シカゴやパリの万国博覧会などで活躍した。初期の上村松園や土田麦僊が、一時、松年に学んでいる。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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