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せっこうのとるそとはな 石膏のトルソと花
マティスは、はじめパリで法律を学んでいたが、盲腸で入院中に絵画を志し、モローのアトリエに入る。ここでルオーやマルケと出会う。1903年サロン・ドトンヌでの彼らの激しい作品は論議を呼び、フォーヴィスム(野獣派)と呼ばれる。その後、キュビスム、抽象などの様々なイズムの展開のなかで、色彩を重視した自分の作風を確立し、ピカソと並ぶ20世紀美術の巨匠となる。この作品は初期の激しい作風から、後の単純な形と明るい色、大胆な構成による作風へと移る時期の作品で、裸婦などのいる室内画を多く描いていた。この作品は石膏のトルソと花瓶のある室内の静物画で、壁の装飾的なデザインや平面的な構成に、マティスの特質が表れている。
カテゴリー:作品
マックス・エルンストとは?【 作家名 】 1891年ドイツに生まれる。1976年没する。ボン大学で哲学を学ぶ。1912年「ラインの表現主義者」展に出品。キュビスムや未来派の影響を受けた後、1919年アルプ等とケルンのダダ・グループを結成し、過去の名画の改作やコラージュなどを試みる。アンドレ・ブルトンの招きで1921年パリで個展、翌年パリに移り、シュルレアリスムの代表的画家として活躍。1925年フロッタージュ(あてこすり)の技法を発明し、〈博物誌〉を制作、その後油彩にも応用する。第2次大戦中ナチに追われ、1941年ニューヨークに移る。オシログラフ(振動描画)の技法は、アクション・ペインティングの先駆けとなった。1929年に〈百頭女〉、1934年に〈慈善週間〉、などのコラージュ小説を刊行。タブローの他、版画や本の挿絵も精力的に手掛け、アメリカでは多くの彫刻を制作した。1954年ベネチア・ビエンナーレ展で、絵画部門の大賞を得た。1958年フランスに帰化した。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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