ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


「シュルレアリスム 彫刻・オブジェ・絵画・デッサン」展 ピエール・コル画廊



「シュルレアリスム」展 アテネオ・デ・サンタ・クルス・デ・テネリフェ



「シュルレアリスム絵画」展 ピエール画廊



シュルレアリスム革命 1-12号



シュルレアリスム国際展のマネキン人形 マン・レイ作



シュレンマー



春秋(双幅のうち「春」)



春秋(双幅のうち「秋」)



シューブラク



シュールマン



蕉陰煮茶図



障害児用おもちゃの自動車「バイオカー」“ロロ”と“ソロ”



邵氏観梅図



少女の顔



「肖像画・デッサン・宝石展」サル・デ・ザール



象徴主義



聖徳太子孝養立像



「少年の魔法の角笛」/(『ゲルラッハ・ユーゲントビューヒェライ』第4号)



初夏渡航



書簡 今泉氏宛


<前 (73/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


おの ちっきょう

小野竹喬

1889年岡山県に生まれる。本名英吉。はじめ竹橋と号す。1903年(明治36)京都に出て竹内栖鳳に入門する。1907年第1回文展に〈山家の春〉が初入選する。1909年京都市立絵画専門学校が設立され、一期生として別科に入学、11年に卒業する。在学中の1910年田中喜作、土田麦僊らと黒猫会を結成し、新しい日本画について研究を行う。翌年さらに仮面会を結成して洋風画の作品を発表する。1916年(大正5)第10回文展に〈島二作〉が特選となるが、翌年は落選となる。1918年文展に対する不満と新しい日本画の確立を目指し国画創作協会の結成に加わる。第1回国画創作協会展に洋画的な写実を取り入れた〈波切島〉を発表する。1921年土田麦僊野長瀬晩花黒田重太郎らと渡欧し翌年帰国する。帰国後ルネサンス美術の影響を受けた作品を発表するが、さらに南画や狩野派を研究し独自の画風を確立した。1928年(昭和3)国画創作協会日本画部解散後は官展に復帰、1950年京都市立美術専門学校教授となり後進の指導にもあたった。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年)


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

文展とは?【 美術用語 】

文部省美術展覧会の略。1907年6月、勅令によって美術審査委員会官制がしかれ、続いて美術展覧会規程が告示公布され、最初の官制による展覧会として同年以降毎年秋季に開催された。当初から審査員の選出で紛糾し、美術界を統合した形をとるために当時日本画壇に分立した諸団体と洋画、彫刻の新旧両派から選出した委員に学識経験者を配して均衡をとった。1919年文部大臣の管理下に帝国美術院が設けられ帝国美術院展覧会に改組されたが、在野有力作家の吸収を目的として、35年文相松田源治により帝国美術院が改組され、37年ふたたび文部省美術展覧会として発足した。戦後は1946年日本美術展覧会(日展)として再出発したが、49年日本芸術院と日展運営会が共催することとなり、さらに58年から社団法人日展により運営されている。1937年からの文部省美術展覧会を新文展と呼ぶことがある。

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

文展

キーワードを含む記事
205件見つかりました。

  赤城泰舒

  秋野不矩

  朝倉文夫



  荒井寛方

  荒木寛畝

  荒木十畝

  有山白崖

  池田蕉園

  池田輝方

  池田遙邨

  石井鶴三

  石井林響

  板倉星光

  伊藤小坡

  伊東深水

  井上三綱

  井上常太郎

  猪田青以

  今尾景年


<前   次>

徳島県立近代美術館2006