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よるのふくろう 夜のふくろう
主に肖像画や風景画で知られるコールマンだが、静物画や花鳥画も少数ではあるが逸品を残している。1870年代から彼はイタリアのカプリ島で制作をしながら、作品発表を主にアメリカとイギリスで行っていたが、その頃に欧米に広まっていたジャポニスムの影響を間接的に受けたと考えられる。特にイギリスで活躍をしていたアメリカ人画家マクニール・ホイッスラーとは交友もあったと思われ、彼が頻繁に用いた縦長の画面形式や地味な中間色の色彩、そして漢字や和風の意匠を施した金の額縁はコールマンのこの作品に共通している。コールマンの額の四隅には、徳川家の葵の紋が用いられているが、それはホイッスラーの額と同様、家紋としての意味はなく、純粋な装飾意匠として採用されている。ふくろうの背後の満月の金が見事に額の金と調和し、全体として金屏風のような効果を作り上げている。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
ベルガーとは?【 作家名 】 1892年ウィーンに生まれる。1911年よりウィーン工芸学校在学。O.シュトルナートとJ.ホフマンに師事。ウィーン工房のためにテキスタイル、銀器をデザインした。同じく工房に参加していた、O.レンゲッテが1917年に編集したモード雑誌『婦人世界』のグラフィックに協力。ビミニ社のためのガラス器をデザインした。ウィーン市の建築計画に従事1920−36年、30本以上の映画のセットの仕事をし、代表的なものに1920年の「王子と乞食」、1923年の「デア・ユンゲ・メダルドウス」、1927年の「カフェ・エレクトリック」などがある。1936年からモスクワに移り、1981年同地で歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
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