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わかいふじんのしょうぞう 若い婦人の肖像
同世代の宮廷画家イアサント・リゴーが、王侯や宮廷婦人の肖像画を手がけていわば「王家の画家」としての名誉を得たのに対し、彼の好敵手であったラルジリエールは、高等法院評定官をはじめ、銀行家や大ブルジョワなど、役人や富裕な市民階級の人々の注文を受けて活躍し、いわば「小役人の画家」あるいは「ブルジョワ市民の画家」として、当代一流の肖像画家の名声を確立した。ダルジャンヴィルは次のように述べている。「この画家はフランス宮廷とはあまり関係を結んでいない。むしろ一般市民のために制作することを喜んだ。その結果、優遇を得ることはなかったが、収入は宮廷に出入りしていた頃よりも急速に増えた。」アントウェルペン、ロンドンで修業を積み、そこでヴァン・ダイクの絵画に見られるような重厚かつ豊麗なフランドル絵画の様式を身につけたラルジリエールの作風は、フランドル的な造形と色彩の影響を受けながら、フランスらしい軽快で洗練された美しさを湛えている。歴史画、風景画、静物画など多彩な分野に筆をとったが、60年余の活動期の中で実に1500点をこえる肖像画を残した。その肖像画は女性的な優しさをもつロココ風のもので、リゴーの男性的な美を持ついかにも17世紀風の様式に比べると、明らかに新しい時代の到来を予告しているといえる。この作品は、楕円形の画面に落ち着いた褐色の色調によって簡略化された背景に描かれ、優美で女性らしい雰囲気を醸し出すとともに、ショールの赤や唇と頬の紅の色彩が画面に華やかさと明るさを添えている。ラルジリエールらしい軽妙な女性肖像画である。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
平福百穂とは?【 作家名 】 1877年秋田県に生まれる。本名貞蔵。四条派の画家である父の平福穂庵から手ほどきを受けた後、1894年(明治27)に上京して、川端玉章に師事する。1897年東京美術学校日本画科に編入学する。1900年、玉章門下の結城素明らと无声会を結成。1913年(大正2)の无声会解散後は、同年に国民美術協会の創立に加ったほか、1915年に川端龍子、小川芋銭らと珊瑚会を結成する。一方文展にも出品し、1914年の第8回展で3等賞を受賞、第9回展で褒状を受け、第11回展では特選となる。1916年には、松岡映丘、結城素明、鏑木清方、吉川霊華らと金鈴者を結成し、翌年の第1回展から1922年の解散時まで出品する。1922年の第4回帝展、1926年の第7回帝展では審査員をつとめ、1930年(昭和5)に帝国美術院会員、1932年には東京美術学校教授となった。大和絵、南画、琳派や桃山時代の絵画、中国古代美術などを広く学ぶとともに、歴史故実も研究し、多彩な画風を展開した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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