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でんえんのそうがく 田園の奏楽
18世紀中葉のフランスにおいて、ある意味で「軽薄」で「表面的な優美さ」を求める時代の傾向を最もよく代表した画家ブーシェは、ゴンクール兄弟が要約するところによれば、彼は「ある一つの世紀の趣味の典型であり、それを表現し、それに乗り移り、その化身となった」人物である。1734年以来、ボーヴェのタピスリー工場と関わりを持ち、1755年には王立ゴブラン織工場の長となったことでも分かるように、装飾の分野で才能を発揮し、絵画にもその装飾的要素を駆使して、独自の装飾画の様式を完成させた。時のルイ15世の公式愛妾であったポンパドゥール夫人の絵画教師を務め、ヴェルサイユ、フォンテーヌブロー、マルリーなどの王宮の大規模な装飾を手がけるなど、宮廷関係の仕事に恵まれた彼は、1765年には主席宮廷画家に任命されている。その絵画は、伝統的な神話の主題をあつかったものが多いが、1742年頃から神話画に田園趣味を結びつけた小型の絵画作品も制作するようになった。それらは森や水辺の自然表現の中に神話的人物を配し、休息や戯れをテーマにした牧歌的な雰囲気をもつ作品で、次第に主人公はニンフや羊飼いへと変わっていく。本作の前年に描かれた《ディアナの休息》(ルーブル美術館蔵)などは、この種の神話的田園画の頂点を示すものであろう。本作もこの時期に制作された神話的田園画の見事な一例で田園の中で憩う若い男女の牧歌的情景として、羊飼いが奏でる横笛の音にうっとりと聞きほれるニンフを描いている。この絵と対をなすもう一点(東京富士美術館蔵)には、やはり田園の中で恋を語らう同じような男女が描き込まれている。こうした図像が好まれた背景には、当時の上流階級の人々が、羊飼いや庭師、農民の扮装をして田舎を訪れ、束の間の田園の戯れを楽しむという娯楽が流行したことも要因の一つに考えられよう。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
浅井忠とは?【 作家名 】 東京都に生まれる。1863年父の死去のため家督を相続し佐倉に帰郷。翌年佐倉藩の絵氏黒沼槐山に花鳥画を学ぶ。1873年上京し、箕作塾で英学を学び、1876年国沢新九郎の彰技堂に入門。初めて西洋画の初歩を学び、工部美術学校に入学してフォンタージに師事する。1878年フォンタネージの帰国後、後任のフェレッティを不満として美術学校を退学。1899年明治美術界を創立。1898年東京美術学校教授となる。1900年渡仏し、パリ近郊のグレーなどに滞在。1902年パリを立ち、イタリア、ドイツ、イギリスを巡歴して帰国。東京美術学校を辞し、京都工芸学校教授に就任して京都に移る。1903年自宅に聖護院洋画研究所を創設。1906年関西美術院を開設し、初代院長となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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