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すいた そうぼく 吹田草牧
1890年大阪府に生まれる。本名憲一。従兄黒田重太郎の影響ではじめ洋画を志して関西美術院に入り鹿子木孟郎に学ぶ。1912年(明治45)上京して葵橋洋画研究所に学ぶが、再興院展などに刺激を受け日本画に転じる。1914年(大正3)京都にもどり入江波光の紹介で竹内栖鳳に入門、土田麦僊の指導を受ける。1918年第12回文展で〈山村に春近し〉が初入選する。同年国画創作協会が結成されると国展に毎回出品し、1924年には同会会友、26年に同会会員に推挙される。また1922年から翌年にかけて、菊地契月、入江波光らに同行して渡欧した。1928年(昭和3)国画創作協会日本画部の解散後は、同志と新樹社を結成するがまもなく解散した。1929年第10回帝展に〈嵐山〉を出品し、以後帝展に出品を続ける。戦後は日展には出品せず東京へ移住後は主に洋画を描いた。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ルネサンスとは?【 美術用語 】 15〜16世紀のヨーロッパの美術史上の様式と時期区分。とくにイタリア美術史上でいう。「ルネサンス」という言葉は、もともと、ヴァザーリが著書『美術家列伝』(1550年初版)の中で初めて用いた美術の“復活”=イタリア語でリナシータに由来し、それが1840年頃にルネサンスとフランス語に訳され用いられている。ヴァザーリは、およそ13世紀後半以降のイタリアの美術家の中にローマ帝国とともに没落していた美術の復活を認め、時代区分としてルネサンスとしたが、これは同時に古代との間に中世の概念を設定したものであった。今日通説の画期としては、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂円蓋起工の1420年より1500年までを初期、1500年〜1520−30年を盛期としている。初期にはフィレンツェ、盛期にはローマが中心となっている。自然と古代とを柱とする人文主義的造形活動を特色とし、美術理論が追求され、また美術作品の世俗化も行われ、メディチ家などの地方君主による美術の流派が形成された時代である。 |
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