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影シリーズ 海辺の黄色の花と影



影シリーズ 海辺の葉と影



影シリーズ ススキと影



影シリーズ 砂と影



影シリーズ 菜の花と影I



影シリーズ 都わすれと影



影シリーズ れんげと影



影シリーズ れんげと影



影シリーズ 石と影



影シリーズ 右近の葉と影



影シリーズ 海辺の黄色の花と影



影シリーズ ススキと影



影シリーズ 砂と影



影シリーズ 菜の花と影I



影シリーズ 浜辺の葉と影



影シリーズ 都わすれと影



影の自画像



過去も未来もない中心 I



過去も未来もない中心 II



かご


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 作家(1701)

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おらんのあらぶじん

オランのアラブ人

作家名:ウジェーヌ・ドラクロワ
制作年:1834年
技 法:油彩 キャンバス
1835年のサロン出品作。ドラクロワが1832年の前半にモロッコとアルジェリアを訪れた北アフリカ旅行は、彼の芸術形成にとって貴重な体験であった。彼が目にした風景、人物、色彩などの異国のイメージの集積は、その後の作品におけるさまざまな素材となって再創造されることになる。リー・ジョンソンはカタログ・レゾネの中で、本作の構図はこの旅行中に描いた画帖のスケッチから採られたものと、次のように指摘している。「この構図はおそらく、ドラクロワが北アフリカのオランの城壁の外側で描いた淡彩(ウォッシュ)から得ていると思われる。ドラクロワは、タンジュールからアルジェへ船で向かう途中、1832年6月20日にそこへ立ち寄った。アラブ人のポーズや衣服、斜面の上に座る彼等の位置は、二つの作品(淡彩とこの油彩画)において同一であるが、右側のアラブ人は淡彩の中の人物よりずっと若く描かれ、傍らの持ち物にもわずかな差異が見られる。そして淡彩に描かれている背景の城壁が、本作では省略されている。」(『ウジェーヌ・ドラクロワの絵画』第3巻、作品番号357)ドラクロワはモロッコ北端の都市タンジュールから地中海を東へと航行し、アルジェリアの海岸線をオラン、アルジェと寄港し、その土地の風俗を描いたのであろう。アルジェリアは、1830年から1962年の独立までの132年間にわたりフランスの植民地であったが、当時フランス領となったばかりの新大陸の人々と風景は、ドラクロワの想像力と創作意欲を大いに刺激したに違いない。オランはアルジェに次いで大きな港町で、丘の上の旧市街に立つカスバ(城砦)やモスク、聖者の墓廟など、異国情緒に富んでいる。本作と同一構図の鉛筆による習作がウィーンのアルベルティーナ版画素描館にある。この構図をもとにして作られたエッチングの版画(左右逆の絵柄)も知られている。(A.ロボー『ウジェーヌ・ドラクロワの全作品』作品番号462)(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)


カテゴリー:作品
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菱田春草とは?【 作家名 】

筑摩県飯田郡(現在の長野県)に生まれる。本名は三男治。上京し、結城正明に学んだ後、東京美術学校に進み、橋本雅邦川端玉章に師事する。卒業後、日本絵画協会絵画共進会で受賞を重ねるとともに、母校の絵画科嘱託として予備過程の授業を担当したが、明治31年(1898)天心に殉じて美術学校を辞職。日本美術院の創立に参加し正員となった。明治33年(1900)、絵画協会と美術院の連合絵画共進会に出品した作品が、「朦朧体」との酷評を受ける。大観とともにインドや欧米へ旅行し、帰国後は天心に従って茨城県五浦で研究を続けた。明治40年(1907)文展開催にともなって、新派の国画玉成会が結成されると評議員となり、文展で受賞を重ね審査員もつとめたが、眼病をわずらい失明の後38歳で亡くなった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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  春秋(双幅のうち「春」)

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