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かわべのふうけい 川辺の風景
画面に横たわる川面。遠方には木立の緑と青い空。釣り人が一人、川辺に佇んでいる。あひるの群れが、作品全体の平和で穏やかな印象と調和している。視点は、常に地面に近く低い安定した位置から風景を捉える。まさに彼の描く川の景色の典型である。1857年に小舟を買い、故郷に近い川のそばに移住。晩年にはフランス各地の川の景色をもとめて旅し、よく小舟の中から水面の風景を写し取っていた。本作は、そうした彼の趣向を反映しているといえる。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
パスキンとは?【 作家名 】 1885年ブルガリアに生まれる。1930年没する。本名はユリウス・ピンカス。父はユダヤ系スペイン人、母はイタリア人。ウィーンで絵を学んだ後、1904年、ミュンヘンの諷刺雑誌『ジンプリツィスムス』の専属契約画家となり、この時から本名のピンカスではなくパスキンと名乗る。1905年パリに行き、エコール・ド・パリの仲間入りをする。1914年から20年まではアメリカで暮らし、この時にアメリカ国籍を得る。その後ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、キューバ、アルジェリア、イタリア、スペイン等、各地を放浪した。1930年、パリのジョルジュ・プティ画廊での個展前夜に自殺。淡彩と無駄のない線によって描かれた彼独特の女性像は、ゆらめくような透明感を持っており、エロチックな憂愁を帯びている。退廃的なその作品には、新しい発見や革新性は見当らないが、彼の鋭く神経質なまでの危うい感受性が表現されている。 |
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