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かわべのふうけい 川辺の風景
画面に横たわる川面。遠方には木立の緑と青い空。釣り人が一人、川辺に佇んでいる。あひるの群れが、作品全体の平和で穏やかな印象と調和している。視点は、常に地面に近く低い安定した位置から風景を捉える。まさに彼の描く川の景色の典型である。1857年に小舟を買い、故郷に近い川のそばに移住。晩年にはフランス各地の川の景色をもとめて旅し、よく小舟の中から水面の風景を写し取っていた。本作は、そうした彼の趣向を反映しているといえる。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
望月玉泉とは?【 作家名 】 京都に生まれる。祖父玉仙、父玉川ともに望月派を継ぐ画家で、父に学び、その没後家督を継いだ。本名重岑、字は主一、通称駿三。安政年間の御所再建に際して襖絵を制作。京都府画学校設立の運動に参加し、明治13年(1880)に同校が開設されると東宗(日本の写生画、大和絵など)の副教員となる。また、明治15年(1882)の第一回内国絵画共進会で褒状を得るなど、同展や内国勧業博覧会などで受賞を重ねた。明治22年(1889)パリ万国博覧会や同26年(1893)のシカゴ万国博覧会でも受賞。明治37年(1904)帝室技芸員となった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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