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ぱりのさんめだーるきょうかい パリのサン・メダール教会
「ノートル=ダム・ド・パリ、シャルトル大聖堂、ランス大聖堂、ムーラン大聖堂、サン=ドニ聖堂、サン=セヴラン教会、サン=ニコラ=デ=シャン教会、サン=テティエンヌ・デュ・モン教会、クリニャンクール教会、クリシー教会、ヴィリエール=ル=ベル教会、コンケの教会、サン=ジェルマンの教会、イヴリーの教会、クレテイユの教会……。この一覧表だけでは、これが我々と同じ時代に生きた芸術家の、その作品を連想したものなのか、それとも、中世フランスを走り抜けた宗教版画家が、修道院にある彼等の作品で残した痕跡なのか区別がつかない。リストが長いので、我々は、簡単に読み違えてしまうだろうし、またこのリストは、ユトリロに関する情報を教えてくれる。ユトリロの作品のいくつかは、余りにも率直かつ真摯な信仰から生まれたものであるため、彼の作品の中でも異色で、我々に想像の種を提供してくれる」(S.K.)
カテゴリー:作品
満谷国四郎とは?【 作家名 】 岡山県総社市に生まれる。明治24年(1891)中学校を中退し画家を志し上京。五性田芳柳に師事。翌年小山正太郎の不同舎に移る。明治29年に明治美術会展に出品した「林大尉の戦死」、同31年に出品した「尾道港」がともに宮内庁に買上げられ一躍有名となった。明治33年鹿子木孟郎、丸山晩霞らと米国経由で翌年欧州に渡る。パリでジャン・ポール・ローランスに師事、同34年に帰国。明治美術会解散のあと明治35年には吉田博、中川八郎、大下藤次郎らと太平洋画会を結成。明治40年東京府勧業博覧会美術展で「かりそめのなやみ」が一等賞を受ける。この年より文展の開催に際して、審査員として出品する。明治44年再度渡欧する。大正3年(1914)に帰国、ルノアール、セザンヌの影響を受け、画風が客観性に根ざした主観的表現へと大きくる変化、色彩も明るくなる。そしてさらに晩年は単純化と東洋的な装飾性を盛り込んだ独自の作風を築き上げた。大正14年には帝国美術院会員となった。(「東四国阿波讃岐風景画展」図録 1993年) |
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