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さんみっしぇるきょう サン・ミッシェル橋
1907年から1908年にかけて、ユトリロの病気はすっかりよくなっていた。彼の芸術は初期の時代が終わりモンマニーの時代に入っていた。 それまでとは色調がまったく変わり、画面は入念に練り合わされた絵具で覆われるようになった。 ユトリロはその絵具によって色価を調和させた。絵具は拳で打ち付けたように画面上ではち切れている。そこでは白が主要な色になった。それはなんと美しい白であろうか。 建物の白い壁を見た通りに描こうとしてジンク・ホワイト(ユトリロは白にはこれだけしか使わなかった)では満足がいかないときは、ほかの色を混ぜるようになった。 レアリスムにのめり込んだユトリロは、古びた石を描くのにいろいろ工夫をこらしたあげく石の上の本物の苔を画面に張りつけることができたらいいのにと嘆いている。 このころがユトリロの最初の転換期であり、そのすぐ後に白の時代がやってくる。そこでは生の白が白亜のままではなく、画面に響く黒や褐色と対置された絹のような灰色、やわらかな薔薇色や深い青で包まれるようになった。(K.S.)
カテゴリー:作品
デクーニングとは?【 作家名 】 1904年オランダに生まれる。1997年没する。商業美術の仕事をしながらロッテルダムの美術工芸アカデミー夜間部で学ぶとともに、純粋な抽象造形を目指したデ・ステイルの思想の影響を受ける。1926年アメリカに渡る。この頃からアーシル・ゴーキーとの親交が始まる。1935年、WAP(公共事業促進局)の連邦美術計画に参加し壁画の制作を行なうが、38年頃から新古典主義時代のピカソの影響下で〈女〉シリーズに着手する。1940年代を通して、均整のとれた女性像にデフォルメを加えて行き、48年の初個展で抽象化された作風が高く評価される。1950年代前半には、荒々しい筆触と激しい色彩で再び〈女〉シリーズに取り組み、ポロックと並ぶアクション・ペインティングの代表的作家と目される。以後、〈風景〉シリーズなど抽象的要素が一層強まった作品と〈女〉シリーズを繰り返し表わしながら、表現主義的作風を一貫させている。1970年代からは、人体をテーマとした彫刻も試みている。 |
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