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さんみっしぇるきょう サン・ミッシェル橋
1907年から1908年にかけて、ユトリロの病気はすっかりよくなっていた。彼の芸術は初期の時代が終わりモンマニーの時代に入っていた。 それまでとは色調がまったく変わり、画面は入念に練り合わされた絵具で覆われるようになった。 ユトリロはその絵具によって色価を調和させた。絵具は拳で打ち付けたように画面上ではち切れている。そこでは白が主要な色になった。それはなんと美しい白であろうか。 建物の白い壁を見た通りに描こうとしてジンク・ホワイト(ユトリロは白にはこれだけしか使わなかった)では満足がいかないときは、ほかの色を混ぜるようになった。 レアリスムにのめり込んだユトリロは、古びた石を描くのにいろいろ工夫をこらしたあげく石の上の本物の苔を画面に張りつけることができたらいいのにと嘆いている。 このころがユトリロの最初の転換期であり、そのすぐ後に白の時代がやってくる。そこでは生の白が白亜のままではなく、画面に響く黒や褐色と対置された絹のような灰色、やわらかな薔薇色や深い青で包まれるようになった。(K.S.)
カテゴリー:作品
ドクメンタとは?【 美術用語 】 1955年以来、西ドイツのカッセル市で、原則として4年ごとに催されてきた進歩的傾向の国際美術展の名前。第1回展は、カッセル・アカデミーのボーデ教授の提唱で、第二次大戦終了までナチスによって進歩的・前衛的芸術が「退廃」の烙印を押されて国際舞台から著しく立ち遅れてしまっていたドイツの芸術に、再び新しい息吹きを取り戻す目的で組織された。以降、ドイツの国民に世界の現代美術の動向を紹介するのを根本とし、多くの国際美術展のような授賞制度を持たずに、毎回テーマを決め、それに基いて委員会が美術家の人選を行うという方法を採っている。第2回展にはアメリカ部門が設けられ、ニューヨーク派の成果が紹介され、第4回展では、出品作家の3分の1がアメリカ人でその作品の多くが巨大なサイズのものという、アメリカの色面抽象絵画、ポップ・アート、ミニマル・アートが支配的なもので、ドクメンタの歴史にひとつの頂点を画したものであった。画商界の動向への追随など批判も多いが、現行の国際美術展では最も規模の大きいものである。 |
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