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もんまるとるののるう゛ぁんどおり モンマルトルのノルヴァン通り
ユトリロはこのモチーフをさまざまな角度から何度も作品にしている。この絵を見ることで、私たちはユトリロの白の時代に入り込むことになる。ここはユトリロの人生にとって重要な意味をもつ古きよきモンマルトルの真ん中である。モンマルトルのテルトル広場やサクレ=クールは、ユトリロと家族であるヴァラドン、ユッテルの生活に欠かせない場所であった。建物の壁にはユトリロの数えきれないほどたくさんの思い出が染みついているとともに、19世紀の歴史的な事件が刻み込まれている。 窓は開いているが、何も入り込んでいかない。生も死もすべては、建物の外にある。鎧戸も窪んだ窓も、何も生きていないかのように押し黙ったままである。白壁は白くはなく、澄みきったものは何一つない。まぎれもない黒も、ここにはない。この絵は、自分がほかの人のために生きているのか、そうではないのかという、ユトリロによる自我の探究なのである。 それはほかの人たちの中に一つの自己を見いだすことである。自分は白くはないとしても、ほかの人たちも青いとは限らない。 町の中でのいさかい、自分との葛藤。じっと待つこと、不信−生きながらえ、さらに待つこと−そして無! 青や灰色や薔薇色のしみがついた、白の時代のユトリロの絵の建物の壁には、そうしたことのすべてが描き込まれている。赤ワインの入ったグラスでユトリロが味わった人生のように。(K.S.)
カテゴリー:作品
横山大観とは?【 作家名 】 1868年、常陸国(ひたちのくに、現・茨城県)に生まれる。1958年没する。幼名秀蔵、秀松、のちに秀麿。旧姓は酒井。結城正明に学んだ後、東京美術学校(現・東京藝術大学)に1期生として入学。橋本雅邦、岡倉天心の指導を受ける。卒業後、東京美術学校助教授となるが、天心に殉じて辞職し、日本美術院の創立に参加。正員、評議員となる。美術院の茨城県五浦への移転を経て、文展(文部省美術展覧会)が開催されると審査員もつとめた。天心の没後は、文展を離れ、日本美術院を再興。一貫して指導的立場にあった。帝室技芸員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員などを歴任し、第1回文化勲章を受章。近代の日本画を代表する画家といえる。 |
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