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うさんのふうしゃ ぶるたーにゅ ウサンの風車、ブルターニュ
ムーラン・ド・ラ・ギャレット、サノワやウサンの風車など、ユトリロが描いた風車は350点以上を数える。ユトリロ、母のシュザンヌ・ヴァラドンそれにアンドレ・ユッテルがヴァカンスに、友人のリシュモン・シュウドワンに連れられてコンケやウサン島に行き2カ月にわたって滞在したのは、1912年にユトリロがサノワのルヴェルテガ医師の病院でアルコール依存症の禁断療法を初めて受けたあとであった。 「ユッテルはいろいろな屋根をしたノルマンディ特有の白壁の農家を描き、後に髪を振り乱して制作に励むようになるヴァラドンは心に響く作品を生んだが、ユトリロ自身は木も草もない−砂漠のような−この島にひどく苛立ち動揺して、なかなかいい絵が描けなかった。幸いだったのは、ユトリロが宿で子供っぽい楽しみを見つけたことである。荒波の中の島で過ごした最後の日までユトリロは、2階にある部屋に戻るのに階段よりも登り綱を使うほうがずっと簡単だと思っている、もと船乗りだた宿の主人を眺めるのを気晴らしの種にしていた」(K.S.)
カテゴリー:作品
脂派とは?【 美術用語 】 一般に明治美術会系の画家の画面が脂っぽい印象を与えることから、世間がこの系統の作家と作品を揶揄して用いた名称。紫派と呼ばれる黒田清輝を中心として形成された外光派との対比で用いられた。ほかに旧派、北派、変則派とも呼ぶ。1893年ラファエル・コランにサロン風の外光描写を学んだ黒田が帰国するまで、日本の画家は外光描写を知らず褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色あるいは黒で表現したため、画面は暗く脂っぽいものとならざるを得なかった。それに対して明るく感覚的な黒田の外光表現は清新な感動をもって若い画家に迎えられ、やがて当時唯一の官展であった文部省美術展(文展)の画風を支配していった。ジャーナリズムは両者の対立を脂派と紫派の抗争とあおったが脂派は画壇の片隅に追いやられていった。 |
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