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食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


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こんけのきょうかい ぶるたーにゅ

コンケの教会、ブルターニュ

作家名:モーリス・ユトリロ
制作年:1912年頃
技 法:油彩 キャンバス
このみごとな作品は、A.タバランの著書『ユトリロ』に図版が掲載され、ユトリロが画商のルイ・リボードとのやりとりで味わったいざこざについても詳しく書かれている。「…ユトリロが返事をしないので、リボードはこう書き送った。『もしあなたが私のところに作品を持参するなり、誰かに届けさせるのが気が進まないのであれば、私がそちらに伺いましょう。しかし、私が丘の上まで登っていくよりも、あなたが下りてくるほうがたやすいと私は思いますが』。それは彼の常套手段であった。ユトリロがとうとうモンマルトルの丘を下りてくると、リボードは声高に作品を渡してくれるように頼み、次いで山ほど文句を並べ、仕事がうまくいっていないと泣き落としにかかった。それからおしゃべりをし、下手に出た。『こちらからあなたの所に伺いますし、手紙も書きますよ』。例えばこういう手紙を書いている。『薪の束にもいろいろあるように、絵にもいろいろあります。私が去る1月13日と14日にあなたとヴァラドンさんから購入したのと同じような、またそのときあなたが売らずにとっておいたものと同じような、私が素晴らしいと確信できる質の高い作品をいただける場合には、どれにも同じ金額を喜んでお支払いいたします』。なんとせこいことか! さらにリボードは、この手紙でユトリロの絵を初めて見たときに、しっかりと心を捉えられたことにふれている。そして最後にリボードはこう勧めている。『ご承知のように、私がようやく設定したあなたの絵の値段の相場を下げることは、私たちのどちらにも利益になりません。しかし、もしあなたの作品を、しばらく手元にとどめて置くことができないか、商売をやっていくために短期間でそれらを売却せざるをえないような画商に渡されるようなことをなされば、間違いなくそういう事態になるに違いありません』。リボードはまた、いかにも彼らしいしつこさで、ユトリロの作品を最初に見る権利をもらいたいと懇願しにやってきた。それどころか週に一度、作品を見に丘を登っていくことに決めている。なんたるやり口!『彼はサロン・ドトンヌで一切作品を売らなかったし、よい作品は流通するより保持していたほうがいい』という理由をつけて、アンデパンダン展に出品した2点の作品に100フランという取るに足らない金額を示したこの男の、強引な要求に、ユトリロはさらに激しく反発するに至る」(K.S.)


カテゴリー:作品
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川合玉堂とは?【 作家名 】

1873年愛知県に生まれる。1957年没する。本名芳三郎。京都に出て、望月玉泉に師事。玉舟の号を与えられた。明治23年(1890)第三回内国勧業博覧会に出品する際、玉堂と改号。同年、玉泉の許可を得て幸野楳嶺の画塾に移った。竹内栖鳳菊池芳文は同門。楳嶺の没後、明治29年(1896)に上京し、橋本雅邦に入門。日本美術院の創立に際して、師の雅邦とともに参加。受賞を重ねた。文展が開設されると審査員をつとめ、以後同展を中心に活躍した。東京美術学校教授、帝室技芸員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、日本芸術院会員を歴任。昭和15年(1940)には文化勲章を受賞した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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