ぐるぐるアートワード
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アッベマ



吾妻兼治郎



アデイェミ



アデイェミ



アトランタ1945+50



アトランタ1945+50



アトリエ前の庭



アドゴ



アドラー



アナツイ



アナパ



アバカノヴィッチ



アバロス



アフォラビ



アフリカセイ



アブウー



アブストラクション・クレアション



アブドゥラマーヌ



阿部展也



アベールディス


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こんけのきょうかい ぶるたーにゅ

コンケの教会、ブルターニュ

作家名:モーリス・ユトリロ
制作年:1912年頃
技 法:油彩 キャンバス
このみごとな作品は、A.タバランの著書『ユトリロ』に図版が掲載され、ユトリロが画商のルイ・リボードとのやりとりで味わったいざこざについても詳しく書かれている。「…ユトリロが返事をしないので、リボードはこう書き送った。『もしあなたが私のところに作品を持参するなり、誰かに届けさせるのが気が進まないのであれば、私がそちらに伺いましょう。しかし、私が丘の上まで登っていくよりも、あなたが下りてくるほうがたやすいと私は思いますが』。それは彼の常套手段であった。ユトリロがとうとうモンマルトルの丘を下りてくると、リボードは声高に作品を渡してくれるように頼み、次いで山ほど文句を並べ、仕事がうまくいっていないと泣き落としにかかった。それからおしゃべりをし、下手に出た。『こちらからあなたの所に伺いますし、手紙も書きますよ』。例えばこういう手紙を書いている。『薪の束にもいろいろあるように、絵にもいろいろあります。私が去る1月13日と14日にあなたとヴァラドンさんから購入したのと同じような、またそのときあなたが売らずにとっておいたものと同じような、私が素晴らしいと確信できる質の高い作品をいただける場合には、どれにも同じ金額を喜んでお支払いいたします』。なんとせこいことか! さらにリボードは、この手紙でユトリロの絵を初めて見たときに、しっかりと心を捉えられたことにふれている。そして最後にリボードはこう勧めている。『ご承知のように、私がようやく設定したあなたの絵の値段の相場を下げることは、私たちのどちらにも利益になりません。しかし、もしあなたの作品を、しばらく手元にとどめて置くことができないか、商売をやっていくために短期間でそれらを売却せざるをえないような画商に渡されるようなことをなされば、間違いなくそういう事態になるに違いありません』。リボードはまた、いかにも彼らしいしつこさで、ユトリロの作品を最初に見る権利をもらいたいと懇願しにやってきた。それどころか週に一度、作品を見に丘を登っていくことに決めている。なんたるやり口!『彼はサロン・ドトンヌで一切作品を売らなかったし、よい作品は流通するより保持していたほうがいい』という理由をつけて、アンデパンダン展に出品した2点の作品に100フランという取るに足らない金額を示したこの男の、強引な要求に、ユトリロはさらに激しく反発するに至る」(K.S.)


カテゴリー:作品
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河合新蔵とは?【 作家名 】

大阪府に生まれる。1891年頃東京に移り、五姓田芳柳に学ぶ。その後小山正太郎の不同舎に移る。1900年、満谷国四郎丸山晩霞鹿子木孟郎らとともに渡米し、翌年ヨーロッパに渡る。パリではアカデミー・コラロッシュに入ってラファエル・コランに師事。またアカデミー・ジュリアンにも学んだ。1904年に帰国。一時京都に住むが再び上京して太平洋画会に参加。大下藤次郎水彩画講習所の開設に協力して講師をつとめる。1912年に京都に移住。関西美術院の教授となり、関西美術会の審査員などもつとめた。1913年の日本水彩画会の創立には発起人となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)

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