1912年に
ユトリロは、《サノワの通りとコンケの通り》でサロン・ドトンヌに2度目の出品をした。12月には独立美術家協会(アンデパンダン)に加入し、1913年のサロン(オルセー河岸にあった)に3点の風景画を送っている。さらに数ヶ月後には、ブロ画廊で
ユトリロの展覧会が開かれた。
ユトリロのことが盛んに話題になり、その名は美術愛好家にとって耳慣れたものになっていった。 「
ユトリロは色彩に調和のとれた歌をうたわせるすべを心得ている。それはどこの流派で身につけたものでもない」(1913年5月26日から6月9日までブロ画廊で開かれた、リボードの企画による
ユトリロ展の図録に、ルイ・ロルメル名で書かれたリボードによる序文の抜粋)(K.S.)