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さのわのとおり サノワの通り
1912年にユトリロは、《サノワの通りとコンケの通り》でサロン・ドトンヌに2度目の出品をした。12月には独立美術家協会(アンデパンダン)に加入し、1913年のサロン(オルセー河岸にあった)に3点の風景画を送っている。さらに数ヶ月後には、ブロ画廊でユトリロの展覧会が開かれた。 ユトリロのことが盛んに話題になり、その名は美術愛好家にとって耳慣れたものになっていった。 「ユトリロは色彩に調和のとれた歌をうたわせるすべを心得ている。それはどこの流派で身につけたものでもない」(1913年5月26日から6月9日までブロ画廊で開かれた、リボードの企画によるユトリロ展の図録に、ルイ・ロルメル名で書かれたリボードによる序文の抜粋)(K.S.)
カテゴリー:作品
ハンス・リヒターとは?【 作家名 】 1888年、ドイツに生まれる。1908年から09年にかけて、ベルリンの美術アカデミーとヴァイマルの美術学校で学ぶ。「シュトゥルム」や「アクツィオーン」などのグループを通じて、ドイツ表現主義を知る。第一次世界大戦中は従軍するが、1916年に負傷して除隊、チューリッヒにて、ツァラやアルプらと共にチューリッヒ・ダダを始める。1919年、ベルリンに戻り、絵画の音楽化を目指して、21年に最初の抽象映画〈リズム21〉を制作する。この後、ガボ、リシツキーらロシア構成主義者やモンドリアン、ドゥースブルフらザ・スティルの人々と交流を深める。形と色という基本要素をもとにした抽象的な作品を制作する一方で、盛んに映画制作に取り組む。1926年の〈映画研究〉、27年、最初のシュルレアリスム映画の一つといわれる〈午前の幽霊〉などが有名である。ナチスの台頭と共に1931年、早々とドイツを逃れ、主としてフランスとスイスに住む。1941年、自由な制作を求め、アメリカに亡命する。翌年にはニューヨーク市立大学の映画研究所の所長に迎えられた。1944年から47年にかけて映画〈金で買える夢〉をエルンストらの協力により制作した。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年) |
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