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ぶぞんのがぶりえるですとれのいえ ブゾンのガブリエル・デストレの家
「今はまだ、この景観は取り壊しをまぬがれている。僕はここを不朽のものにするべくとどまっている……」。ユトリロはこの場所をモチーフにして何点かの風景画を描いている。「僕はあの大きな壁が好きだ!白や灰色だったり、黄色や赤やピンクだったりするその壁には窓の穴があいている。屋根にはトタンか瓦がのっている。鎧戸はその隙間の数を数えなくてはいけない。というのも、誰もそれが役に立っているなんて思いもしないから」。ユトリロは細部まで気を配っており、もとにした絵はがきを何枚か見てみれば、彼が対象を忠実に再現していることがよくわかる。(S.K.)
カテゴリー:作品
五姓田義松とは?【 作家名 】 1855年東京都に生まれる。チャールズ・ワーグマンに入門。1874年横浜から東京に移り、家塾を開く。1876年工部美術学校に入学し、フォンタネージの指導を受ける。翌年工部美術学校退学。同年の第1回内国勧業博覧会に出品し鳳紋賞を受ける。1880年渡仏。フランスでレオン・ボナに師事する。1882年パリのサロンに入選。翌年にも再び入選する。1887年ロンドンに移り、その後アメリカに渡る。1889年帰国し、明治美術会の結成に参加。1890年父芳柳と共にアメリカへ行く。同年帰国。また、この年の明治美術会第2回展に出品。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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