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さんとぅあんのぱりどおり サン=トゥアンのパリ通り
「ユトリロの風景画に初めて人物が姿を現すのはこのころである。その人物はほとんどいつも後ろ向きのおじさん・おばさんで、かなり大まかに描かれており、ときに幽霊のようにさえ見える。しかし、みなありのままの姿であり、決してよそものではない。いずれにせよ、その人物たちはユトリロをとりまく美術愛好家たちには気に入られなかったが、彼はそれを画面から排除しようとするどころか、まったくその反対であった。すると、ずっと目の利く新たな愛好家がユトリロのところにやってきた。それは今はコメディ・フランセーズに属する喜劇俳優で絵画収集家のドリヴァルで、ユトリロの作品を白の時代からずっと多数買ってきていた。ドリヴァルはユトリロの絵に1ルイ(20フラン)か2ルイ払ってきたが、ユトリロ自身が多すぎると思うほどの45フランまで出すようになった。二人の間には心が通ってはいるが変わったつながりができ、ユトリロはちょっとしたお金が急ぎで入り用になると、クリシー大通りにあるドリヴァルの家を訪ねるのが習慣のようになった」(K.S.)
カテゴリー:作品
マッキントッシュとは?【 作家名 】 1868年イギリスのグラスゴーに生まれる。アラングレン・ハイスクールを卒業。1884年ジョン・ハッチスンの事務所に入ると同時にグラスゴー美術大学夜間部に入学。在学中より、ハーバード・マックネア、マーガレットおよびフランシス・マクドナルド姉妹とともに活動、〈ザ・フォー〉と呼ばれる。(1898年解散)1896−1911年、キャサリン・クランストン所有のアーガイル・ストリートのティールーム(1897年)に代表される、一連のティールームのデザインを手掛ける。1900年ウィーンにおける第8回分離派展にその年結婚したマーガレット・マクドナルドとともに招待され出品。1896年グラスゴー美術大学、1901年ヴェルンドルファーのミュージック・サロン、1902年ヒル・ハウス等設計。1923年以降は南フランスのポール・ヴァンドレに移住し主に水彩画に取り組む。1927年舌ガンに冒され帰国。1928年ロンドンで歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
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