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あるじゃんとぅいゆからさのわへのみち アルジャントゥイユからサノワへの道
「……ユトリロは、サノワのロゼ通り17番地にあるルヴェルテガ医師の病院に入院したところであった。そこは別荘ばかりがあり、極めて静かで感じのいい通りであった。ヌイイの市場にアスパラガスを出荷してかなりの資産を手にしたロゼ親爺は、土地を手に入れ、家を建て、通りをまるまる一本造ってしまい、それに大金持ちになった田舎者である自分の名前をつけたのである。ユトリロはルヴェルテガ医師の精神病院で、優しく熱意がこもっていて賢明な治療を受けた。軽い気持ちで逃げ出したりすることがないように、それとなく監視はされていたものの、ユトリロには病院を自由に出入りすることが許されていた。彼がオーボンヌ通りやパリ通り、サン=トゥアン=ロモーヌ通り、それに風車で知られる丘の絵になる斜面に画架を立てているのがよく見られた。 6月が過ぎ、7月がやってきた。ルヴェルテガ医師はユトリロの病気はブルターニュで夏を過ごすのになんら差し障りがないと考え、医師の友人である化学者のリシュモン・ショドワンに連れて行ってもらうようユトリロに勧めた」(K.S.)
カテゴリー:作品
モーリス・ドニとは?【 作家名 】 フランス、グランヴィルに生まれる。パリに出てアカデミー・ジュリアンに学び、ボナール、ヴュイヤール、ランソン、セルジェらと交友する。ポンタヴェンでゴーギャンの影響を受けて結成された、ナビ派の第1回展(1891年)に参加する。セザンヌへの傾倒も強く、作品テーマに「セザンヌ礼讃」(1900年)や「セザンヌ訪問」(1906年)がある。イタリア、ドイツ、スペイン、モスクワ、アルジェリア、アメリカ、カナダと旅行し、特にイタリアでは信仰と美の合致を見出す。宗教画や装飾画も手がける。1920年には国立美術協会宗教芸術部の副部長となる。装飾的、象徴的画面構成に特色がある。また美術理論家としても重要である。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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