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版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉2. バルトロマイ 波流戸呂舞の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉3. アルバヨの子ヤコブ 或婆夜の子 屋仔舞の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉4. ヨハネ 世跳の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉5. ペテロ 遍天呂の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉6. アンデレ 案出禮の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉7. トマス 登増の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉8. マタイ 馬鯛の柵



版画集〈耶蘇十二使徒板画柵(不来方頌、大恩世主十二使徒板画鏡柵)〉9. マフテヤ 摩手也の柵



版画集〈11人のポップ・アーチストII〉4. 夢想



版画集〈11人のポップ・アーチストII〉11. タバコ・ローズ



版画集〈壁〉パラシュートのある壁(表紙)



版画集〈壁〉壁と人間 扉



版画集〈壁〉1. 絵解きの壁



版画集〈壁〉2. 鳥のいる壁



版画集〈壁〉3. 壁のなかで動けなくなった人間



版画集〈壁〉4. 壁のあいだを通り抜けている



版画集〈壁〉5. 壁の前のダンス



版画集〈壁〉6. 口ひげを生やした人のいる壁



版画集〈壁〉7. 人間と壁



版画集〈壁〉8. 壁の前で用を足す人たち


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とおり

通り

作家名:モーリス・ユトリロ
制作年:1912-1914年頃
技 法:油彩 厚紙
私のつたない考えによれば、この絵は白の時代1912−14年ころに描かれたものである。ゲー親爺の店「カス=クルート」に身を落ち着けていたころ、ユトリロは飲み屋の「ラ・ベル・ガブリエル」で友人のジュール・ドゥパキ、ティレ=ボニェと杯を交わさずにはいられなかった。モンマルトルの自由コミューンの「首長」であった諷刺漫画家のジュール・ドゥパキは、当時全盛であったいくつかの諷刺雑誌に寄稿していた。第二帝政の挿絵画家であったティレ=ボニェは、ユトリロに画家として立つことを強く勧めた人物である。ジュール・ドゥパキ、フランシス・カルコ、ローラン・ドルジュレスは、マリー・ヴィジェが経営する「ラ・ベル・ガブリエル」に通いつめた。モンマルトルの丘の絵描きたちはみな、ユトリロと同じように彼女にちやほやした。カウンターでかなりろれつが回らなくなったユトリロがもう一杯欲しいとねだると、マリー・ヴィジエは平手打ちをくらわせて静かにさせ、落ち着くとラムをなみなみとついで出した。ジュール・デゥパキとティレ=ボニェは、この美しき女主人の「洒落た」あしらいにはもう慣れっこになっていた。彼女のびんたを親愛の情と受け取り、たいして気にもとめなかった。彼らは彼女が腹を立てると大笑いし、彼女の健康を祈って「ジョッキ」を掲げた。みな金がなくても飲んだ。そうしたときユトリロは、金の代わりに絵で支払った。ときおりマリー・ヴィジエは、この3人に怒りを爆発させた。「大酒のみ!」「やっかい者」と彼女がわめくと、ユトリロがどなる。「ごめん。でも僕はめんどうを起こさずにはいられないんだ。」このことは、絵に対するユトリロの激しすぎる思いを懸念し、制作を控えさせようとしていたルイ・リボードが、実際にあったことだと認めている。誇り高いドゥパキは、もうこんな店には来るもんか、といいながら戸口に向かう。もっと気まずい思いのティレ=ボニェは逆らわずにドゥパキについていくが、「河岸を代える」気のないユトリロはそこにいつづけて、10分もするとワインを一瓶注文するのであった。マリー・ヴィジエは、ユトリロが酔っぱらうのを恐れていた。ユトリロが正気でいる間は何もいわなかったが、興奮して大声でしゃべり始めると、開けっ放しになっている戸口にユトリロが近づくのを待ち構えていて思いっきり尻を蹴飛ばし、通りの溝に放り出してしまうのであった。(K.S.)


カテゴリー:作品
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マックス・エルンストとは?【 作家名 】

1891年ドイツに生まれる。1976年没する。ボン大学で哲学を学ぶ。1912年「ラインの表現主義者」展に出品。キュビスムや未来派の影響を受けた後、1919年アルプ等とケルンのダダ・グループを結成し、過去の名画の改作やコラージュなどを試みる。アンドレ・ブルトンの招きで1921年パリで個展、翌年パリに移り、シュルレアリスムの代表的画家として活躍。1925年フロッタージュ(あてこすり)の技法を発明し、〈博物誌〉を制作、その後油彩にも応用する。第2次大戦中ナチに追われ、1941年ニューヨークに移る。オシログラフ(振動描画)の技法は、アクション・ペインティングの先駆けとなった。1929年に〈百頭女〉、1934年に〈慈善週間〉、などのコラージュ小説を刊行。タブローの他、版画や本の挿絵も精力的に手掛け、アメリカでは多くの彫刻を制作した。1954年ベネチア・ビエンナーレ展で、絵画部門の大賞を得た。1958年フランスに帰化した。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年)

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  マックス・エルンスト

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  百頭女

  フォトモンタージュ

  フロッタージュ

  『マネキン人形たち』 15点組

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徳島県立近代美術館2006