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くりにゃんくーるののーとるだむじいん クリニャンクールのノートル=ダム寺院
ユトリロはこの寺院のある所からほど遠くないポトー通りで生まれた。この広場に立っている建物が、まさにモンマルトルの中心に当たる。その区役所には人々が誕生や結婚や死亡を届けにやってくる。通りを渡った教会の横では洗礼がなされ、結婚が祝われ、葬儀が行われた。誕生、祝祭、そして忘却……。ユトリロは特に1914年に、このモチーフをさまざまな形で何度も繰り返し描いている。「もしパリを離れなければならず、二度と戻ってこれないとしたら、君は何を持っていくつもりだい。思い出の品は何だい。気に入っているものはあるのかい」。こう聞かれてユトリロは答えた。「僕は漆喰壁のかけらを持っていくだろうね」「なんでまた」「だってね、僕がガキだったころ遊ぶのに集めたのが漆喰のかけらだったんだよ」(K.S.)
カテゴリー:作品
池田輝方とは?【 作家名 】 1883年東京都に生まれる。建具職池田吉五郎の次男。1895年(明治28)水野年方に内弟子として入門、鏑木清方、荒井寛方、大野静方らとともに年方門の四天王といわれる。1902年日本美術協会、日本美術院連合の第12回絵画共進会展、翌年の第13回展で1等褒状を、4年の第14回展で銅賞三席を受ける。清方らにより1901年に結成された烏合会に参加。1903年同門の蕉園と婚約するが、紆余曲折の末、11年結婚する。この間、1907年川合玉堂に入門。1912年第6回文展で褒状を、第8回展で3等賞、第9回展で2等賞を受け、第10回展では蕉園とともに夫妻そろって特選を受賞した。1917年(大正6)妻蕉園が病没。1919年、石井林響、山内多門らと如水会を結成し、この年の第1回帝展にも出品するが、21年結核のため逝去する。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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