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みみぱんそんのいえ もんすにとおり ミミ・パンソンの家、モン=スニ通り
魂のこもったこの絵は、力強いがゆったりとした作品になっており、白の美しさがみごとである。きれいな白、よごれた白、青みがかった白。沸き立つ乳白色の上に緑色や栗色、褐色、淡い黒が塗られている。批評家諸氏よ、これはなんと美しい作品であろうか。 ユトリロの筆さばきには、白の時代がまだ生き続けていることがみてとれるではないか。白の時代は1914年12月31日に突然終わりを告げたわけではないのだ。ユトリロのパレットの上で音楽を奏でる白には、同じ白の時代といってもいろいろある。そのことは、ユトリロの白がほかのどの画家の白ともまったく違っていることの明白な証なのである。(K.S)
カテゴリー:作品
ベルガーとは?【 作家名 】 1892年ウィーンに生まれる。1911年よりウィーン工芸学校在学。O.シュトルナートとJ.ホフマンに師事。ウィーン工房のためにテキスタイル、銀器をデザインした。同じく工房に参加していた、O.レンゲッテが1917年に編集したモード雑誌『婦人世界』のグラフィックに協力。ビミニ社のためのガラス器をデザインした。ウィーン市の建築計画に従事1920−36年、30本以上の映画のセットの仕事をし、代表的なものに1920年の「王子と乞食」、1923年の「デア・ユンゲ・メダルドウス」、1927年の「カフェ・エレクトリック」などがある。1936年からモスクワに移り、1981年同地で歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
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