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みみぱんそんのいえ もんすにとおり ミミ・パンソンの家、モン=スニ通り
魂のこもったこの絵は、力強いがゆったりとした作品になっており、白の美しさがみごとである。きれいな白、よごれた白、青みがかった白。沸き立つ乳白色の上に緑色や栗色、褐色、淡い黒が塗られている。批評家諸氏よ、これはなんと美しい作品であろうか。 ユトリロの筆さばきには、白の時代がまだ生き続けていることがみてとれるではないか。白の時代は1914年12月31日に突然終わりを告げたわけではないのだ。ユトリロのパレットの上で音楽を奏でる白には、同じ白の時代といってもいろいろある。そのことは、ユトリロの白がほかのどの画家の白ともまったく違っていることの明白な証なのである。(K.S)
カテゴリー:作品
戸張孤雁とは?【 作家名 】 1882年東京に生まれる。1901年洋画研究のため渡米し、06年に帰国する。1910年太平洋画会研究所彫塑部に入門し、同年第4回文展に「をなご」を出品する。1916年再興第3回院展に「ムスメ」「若き男の像」他を出品する。1917年には日本美術院同人となる。1927年東京で死去。アメリカで苦学をしながら、洋画、デッサンを学んでいた戸張は、ニューヨークのナショナル・アカデミーで荻原守衛と知り合ったことで、彫刻家への道を進むことになる。ロダンの作品からも多大な影響を受け、生命感にあふれた大胆なデフォルマシォンを特徴とする象徴性の高い作品を制作した。また版画家としても活躍し、1919年には山本鼎、織田一磨らと日本創作版画協会を創立し、「創作版画と版画のつくり方」を刊行した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) |
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