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すたんのとおり スタンの通り
ピエールフィット=シュル=セーヌ(セーヌ=サン=ドニ県)近くのスタン通りはモンマニー(ヴァル・ドワーズ県)に隣接している。スタン通りは1916年以来大きくは変わっていない。この通りの家並みはひどく古びてしまった。店の正面は変わり、教会はかなり傷んでいる。この教会は「崩壊寸前」と宣言され、解体されるばかりの状態である。 この作品は、今日では失われてしまったこの通りの活気を伝えている。 この作品は「白の時代」のものである。もしそうでないと見なされるとしても、遠近法、正確なヴォリューム感を見ればこの作品の質の高さが分かる。鎧戸は閉められ、窓を覆っている。沈黙に包まれたこの通りに入っていけそうな気がする。石や漆喰は画家の筆によって生命を与えられている。(T.N.)
カテゴリー:作品
フォートリエとは?【 作家名 】 1898年フランスに生まれる。1964年没する。1909年イギリスへ渡り、12年にロンドンのロイヤル・アカデミーに入って美術を勉強するが、中退する。1917年には兵役につき、第1次世界大戦終了を機に1920年パリに戻る。写実的な絵を描いていたが、1928年初めての抽象的な絵を描く。第2次世界大戦中は対独抵抗運動の中心人物となり、1940年にはパリの郊外に隠れて〈人質〉のシリーズを制作する。パレット・ナイフによって念入りに厚く塗り重ねた淡い色彩によって、既製の形に頼らず、絵画のマチエールの自発的な働きをつむぎ出すようなその作品は、アンフォルメルの源流となっている。アメリカの抽象表現主義に与えた影響も少なくない。1943年と45年には、パリ、ドルーアン画廊で〈人質〉展を開く。1957年にはハンガリー動乱をもとに〈パルチザン〉を発表する。1959年には来日して南画廊で個展を開く。1960年にはベネチア・ビエンナーレで大賞を受賞した。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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