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すたんのとおり スタンの通り
ピエールフィット=シュル=セーヌ(セーヌ=サン=ドニ県)近くのスタン通りはモンマニー(ヴァル・ドワーズ県)に隣接している。スタン通りは1916年以来大きくは変わっていない。この通りの家並みはひどく古びてしまった。店の正面は変わり、教会はかなり傷んでいる。この教会は「崩壊寸前」と宣言され、解体されるばかりの状態である。 この作品は、今日では失われてしまったこの通りの活気を伝えている。 この作品は「白の時代」のものである。もしそうでないと見なされるとしても、遠近法、正確なヴォリューム感を見ればこの作品の質の高さが分かる。鎧戸は閉められ、窓を覆っている。沈黙に包まれたこの通りに入っていけそうな気がする。石や漆喰は画家の筆によって生命を与えられている。(T.N.)
カテゴリー:作品
川端玉章とは?【 作家名 】 京都に蒔絵師の子として生まれる。幼名龍之助。晩年は璋翁と号した。はじめ、父から蒔絵の手ほどきを受けるが、中島来章に師事し円山派を学んだ。慶応2年(1866)江戸に出て、覗眼鏡の興行などを経た後、高橋由一、五姓田義松とともにワーグマンから洋画を学ぶ。そして、油絵具で屏風を描いたこともあったという。明治10年(1877)第一回内国勧業博覧会以降、受賞を重ね、第一回、第二回内国絵画共進会では、受賞作がフェノロサから評価を受ける。明治21年(1888)から、円山派を代表する画家として、東京美術学校で後進の指導にあたった。シカゴ万国博覧会に出品。日本青年絵画協会の結成に尽力した他、川端画学校校長、帝室技芸員、文展での審査員などを歴任した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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