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リンディッヒ



リンドナー



「輪舞」−歌曲の夕べのためのプログラム冊子



リートフェルト



ル・マンシュ・ダン・ラ・マンシュ または 打ち手なき槌



ルイス



ルイズ・ニーヴェルソンの肖像



ルイ・パスカルの後ろ姿



ルイ15世様式の子供用肘掛け椅子



ルオー



「ルキアノスの遊女(ヘタイラ)の対話」



ルクレツィア



ルックス



ルドン



ルネ



ルネサンス



ルノアール



ルノワール



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ふくだ へいはちろう

福田平八郎

大分市に生まれる。明治43年(1910)に京都に出て、京都市立絵画専門学校別科に入学する。翌44年市立美術工芸学校に入学し直し、大正4年(1915)に同校を卒業したのち、絵画専門学校に学んだ。卒業制作の構想に悩んでいた際、同校で美学を講じる美術史の中井宗太郎から、自然を客観的に見つめることの必要性を示唆され、写生を重視する態度を学んだ。絵画専門学校卒業後、大正8年の第1回帝展に初入選し、10年の第3回展では特選を受けて宮内省買い上げとなる。以後、宮展を主な活動の場とした。昭和22年(1947)帝国芸術院会員、ついで日本芸術院会員となる。昭和36年文化勲章を受章、文化功労者となった。「安石榴」は、大正期の平八郎の作風をよく示した作品で、大正9年の第2回帝展に出品された。現実の自然を正確に写生する態度とともに、ここには、当時の国展出品作の傾向や、宋元院体花鳥画に学んだあともみられる。大正13年に彼は、小林観雨、池田遥邨、岡本神草、青木生沖、徳岡神泉らとともに古画の研究会をつくるが、その時期の作品では、宋元院体花鳥画の影響がより色濃いものとなっている。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)


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久米桂一郎とは?【 作家名 】

1866年佐賀県に生まれる。1874年父邦武とともに上京、1884年藤雅三について洋画を学び、1886年渡仏してラファエル・コランに師事、藤の招介で黒田清輝を知る。1893年帰国。翌年山本芳翠の生巧館をゆずりうけ、黒田とともに天真道場を開き、1895年第4回勧業博覧会に出品、妙技2等賞を授賞した。1898年東京美術学校教授となり、翌年パリ万国博覧会鑑査官として渡仏。1900年同博覧会の出品作3点で褒状をうけた。1904年東京高等商業学校教授を兼任。1920年東京商科大学予科教授を兼任し、1922年帝国美術院幹事となり、翌年仏政府より勲章をうける。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)

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