ユトリロの作品の中で重要なこの絵は、ヴィルジュイフの精神病院に入院しているときに描かれたものである。この風景には、渦巻く雲が見られる。奥行きは壁に沿ってゆっくり延びる消失線によって強調されている。街灯が寂しげにひっそりと佇んでいるのは、白の時代の特徴である。ラサレフやA.ワルノー、M.ブルースタン=ブランシェが半ズボンで板に乗って、コーランクール通りまで滑り降りたのはこの通りの坂であった。
ユトリロの伝説となるような出来事のほとんどは、この通りで繰り広げられた。さらに彼はさまざまな時期にここの光景を描いている。それは、ミミ・パンソンの家から見たり、右手にある
ベルリオーズの家やサン=ヴァンサン通りに面している左手の建物に焦点を当てたりしたものである。少し下がった、左の角はポール・フェヴァル通り1番地で、「カス=クルート」という看板の下がった酒場があった。
ユトリロは、以前警察官だったゲー親爺が経営するその店の常連であった。セザール・ゲーが所有していた建物に、「カス=クルート」に続いて、そこの部屋を借りたマリー・ヴィジエが「ラ・
ベル・ガブリエル」という名のレストランを開いた。
ユトリロは昼も夜もそこに入りびたった。彼女に大変気をつかった
ユトリロは、出入り口の上の3色の飾りと同じように、正面の板壁を絵で飾った。さらに彼女をびっくりさせようと、トイレの広い壁に風景と花を描いたが、残念なことにせっかく絵を描いた壁をもとに戻さなければならなかった。トイレの暗さを減じて豊かな気持ちになれる場所にできたはずだと思うと、彼は残念でならなかった。マリー・ヴィジエは
ユトリロにとって「どんなときにも頼れる母」であり、理解のある女性、友人、何でも打ち明けられる存在であった。
ユトリロの白の時代である時期は、ほとんど彼女とともにあった。その時からマリーは店を「ラ・
ベル・ガブリエル」と名づけることになったのである。ときにはマリー・ヴィジエが、モンマルトルの丘の上で何度も繰り返される
ユトリロの逮捕という大きな事件に立ち会って、戸口の横で肩を落としているのが見かけられた。
ユトリロはそのあと、ランベール通りの警察署に連行されるのであった。そこの壁の落書きの中に、
ユトリロの手で記されたこんな言葉を読みとることができる。「僕の人生の最良の思い出が目の前にある。
モーリス・ユトリロ、1912年10月」(K.S.)