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くりすますのめにゅー クリスマスのメニュー
ヴァラドンが家に人を呼ぶときは、モーリス・ユトリロが会食者のテーブルに置くメニューをデッサンした。こうしたことから、彼は祝日や家族そしてその後には妻のリュシー・ヴァロールの誕生日のために、花の絵を描くようになった。 1921年のクリスマスの夜の食事は簡単だった。クリスマスの食事でハムにローストチキンというのは、とても質素である。メニューにはそれだけでは済まず、大量に必要とするワインとアルコールが書かれている。 家計が楽になると、奇抜なヴァラドンは招待客を驚かせようと、夫の運転手付きの自動車で犬のミズとミザをテュイルリー公園に連れていった……。 家計が厳しいときは週に一度牛肉を食べた。しかし自分の絵が売れると、ヴァラドンは、夫のアンドレ・ユッテルを驚かせ、また一人でいるのか他の女と一緒にいるのかを確認するために、コンコルド広場からタクシーを拾ってリヨン近くのサン=ベルナールの城館に帰るのだった。 ヴァラドンは作品を売ったお金をすべて、タクシー代で使ってしまった。(T.N.)
カテゴリー:作品
クラインとは?【 作家名 】 1928年フランスに生まれる。1962年没する。1944−46年ニースの国立商船学校、国立東洋学校に学ぶ。また柔道を学び始める。1947年「モノトーン」の構想を得て手や足によるプリントを試みる。1952年来日、1年間滞在し、講道館で四段を得る。1954年から、モノクローム絵画の画集、風船による〈気体彫刻〉や〈スポンジ彫刻〉〈1分間の火の絵画〉などを次々と発表、1958年には画廊内部を空っぽにして白く塗った「空虚」展などを発表し、話題をまく。フランスでネオ・ダダやポップアートに相当する活動を展開したヌーヴォー・レアリスムのグループ結成式を、1960年自宅で行う。自ら「インターナショナル・クラインズ・ブルー」と名付けた、青一色のモノクロームの画面や、金箔・火・水・空気など、ギリシヤ哲学に見られる元素に発想を求めた造形、あるいは人体に絵具を塗って画面にプリントを試みるなど、彼の活動は、芸術そのものの意味を問い掛けている。デュシャンと並んで20世紀美術の最も本質的な問題に関わった作家。 |
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