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くりすますのめにゅー クリスマスのメニュー
ヴァラドンが家に人を呼ぶときは、モーリス・ユトリロが会食者のテーブルに置くメニューをデッサンした。こうしたことから、彼は祝日や家族そしてその後には妻のリュシー・ヴァロールの誕生日のために、花の絵を描くようになった。 1921年のクリスマスの夜の食事は簡単だった。クリスマスの食事でハムにローストチキンというのは、とても質素である。メニューにはそれだけでは済まず、大量に必要とするワインとアルコールが書かれている。 家計が楽になると、奇抜なヴァラドンは招待客を驚かせようと、夫の運転手付きの自動車で犬のミズとミザをテュイルリー公園に連れていった……。 家計が厳しいときは週に一度牛肉を食べた。しかし自分の絵が売れると、ヴァラドンは、夫のアンドレ・ユッテルを驚かせ、また一人でいるのか他の女と一緒にいるのかを確認するために、コンコルド広場からタクシーを拾ってリヨン近くのサン=ベルナールの城館に帰るのだった。 ヴァラドンは作品を売ったお金をすべて、タクシー代で使ってしまった。(T.N.)
カテゴリー:作品
ドクメンタとは?【 美術用語 】 1955年以来、西ドイツのカッセル市で、原則として4年ごとに催されてきた進歩的傾向の国際美術展の名前。第1回展は、カッセル・アカデミーのボーデ教授の提唱で、第二次大戦終了までナチスによって進歩的・前衛的芸術が「退廃」の烙印を押されて国際舞台から著しく立ち遅れてしまっていたドイツの芸術に、再び新しい息吹きを取り戻す目的で組織された。以降、ドイツの国民に世界の現代美術の動向を紹介するのを根本とし、多くの国際美術展のような授賞制度を持たずに、毎回テーマを決め、それに基いて委員会が美術家の人選を行うという方法を採っている。第2回展にはアメリカ部門が設けられ、ニューヨーク派の成果が紹介され、第4回展では、出品作家の3分の1がアメリカ人でその作品の多くが巨大なサイズのものという、アメリカの色面抽象絵画、ポップ・アート、ミニマル・アートが支配的なもので、ドクメンタの歴史にひとつの頂点を画したものであった。画商界の動向への追随など批判も多いが、現行の国際美術展では最も規模の大きいものである。 |
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