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いえなみ 家並
「……長い間母親が使用する5色に限られていたが、石膏を混ぜた白によって色彩の数が増え、さらにこの作品ではより鮮やかな色彩が新たに使用されるようになり色彩が豊かになった。中間色によるアクセントが見られなくなっている。青は震え、鮮やかな緑が鋭い声をあげ、朱色がぶんぶん音を立てている。灰色の色点が施された多彩色のユトリロ独特の古い壁は、このけたたましい色彩の調和から逃れることなく、ユニゾンで歌っているようであり、壁の傷と汚れには薔薇色が施されている。(T.N.)
カテゴリー:作品
下村観山とは?【 作家名 】 現在の和歌山市に生まれる。一家をあげて上京。はじめ藤島常興に狩野派の手ほどきを受けた後、狩野芳崖、橋本雅邦に学ぶ。東洋絵画共進会、鑑画会に出品し、明治22年(1889)東京美術学校に一期生として入学。卒業と同時に、助教授となる。美術学校騒動では、岡倉天心とともに辞任し、日本美術院創立に参加。正員となる。明治34年(1901)美術学校に教授として復職。2年間、文部省留学生として、イギリスで水彩画の研究などを行った。美術院の五浦移転に従い、美術学校を辞職。大正3年(1914)には、横山大観とともに日本美術院を再興し、以後、院展を中心に活躍した。帝室技芸員、フランス・サロン準会員をつとめた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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